ひとしきり楽しんだ1日もすでに夕暮れを迎え、歩き回ってへとへとになった足を休ませるため、坂口たちはパーク内の港に係留されているガリオン船のデッキで一休みしていた。次第にライトアップされていくパークは実に美しく、港の対岸にあるホテルの部屋の明かりも灯り始めて、まるでここは日本ではないのでないかと錯覚するような風景が広がっている。
真鈴は松嶋、坂口、谷田らと模型の大砲で遊んでいる。福山と深田はさっきから見当たらない。デッキの隅では、松下が伊東を捕まえて、小声で話をしている。
松下 「伊東くんってさぁ……」
伊東 「な、な、何ですか?」
松下 「谷田のこと、好きなんでしょ!?」
いたずらそうな目つきで伊東に話し掛ける松下は、とても楽しそうだ。一瞬顔をこわばらせた伊東を見て、にやりとしながら松下は続けた。
松下 「あ?、やっぱり。伊東くんて分かりやすいよねぇ?」
伊東 「よ、よ、よしてくださいよ!」
松下 「あなた、この間、飲んで帰った後、新宿駅で谷田たちのこと、手を振って見送ってたでしょ。あの目はマジだったね。あたしはそういうのピンと来るのよ」
伊東 「松下さん、僕の彼女いない歴、何年だか分かりますか?」
松下 「そうね、ひょっとして……年と同じだったりして?」
伊東 「……正解です」
伊東が遠くを見る目でそう答えると、松下は少し考えてから、伊東の耳元に顔を寄せてひそひそ話をするようにいった。
松下 「谷田はね、自分のことを本気で好きになってくれる人に弱いわよ。あなたが全力で彼女を大事にしてあげたら、チャンスが巡ってくるかもしれない」
伊東 「そ、そうなんですか……。は、はい!! 分かりました!!」
結局、坂口たちは、根が生えたようにガリオン船のデッキで1時間ほど過ごし、そのまま港で行われる夜の壮大な水上ショウを観覧した。伊東は松下の言葉を頭の中で反すうしながら、ショウを並んで見ている坂口と谷田のさらに横に並んた。
伊東 「うわー、すごくきれいですね。いや、でも谷田さんの方がもっときれいですね」
伊東の直球をどう受け止めていいのか、戸惑いながら、谷田は伊東に微笑を返した。ちらりと反対側に目を向けると、ショウに夢中になって子供のような顔をした坂口の横顔があった。やがて、炎と水が高く舞い上がり、音楽がひときわ高らかに鳴り響くと、ショウはクライマックスを迎えた。
福山 「じゃあ、そろそろ帰りましょうか。今日一日、十分に楽しめたと思います。これを活力に、あと2カ月、ばっちり勉強して試験合格を目指しましょう!」
みんな口々に「頑張ろうね!」と声を掛け合い、出口へと向かって歩き始めた。
閉園時間が近づき、次第に人の流れも少なくなり、静かに流れる音楽やライトアップされた施設が、ロマンチックなムードを盛り上げてくれている。大きなお土産袋をかかえた家族連れやカップルが出口へと向かって歩いていく……。
真鈴 「これでよしっと!」
最後にギフトショップで買った、サッカーボールを蹴っているキャラクターの付いたキーホルダーを、大事そうにリュックにしまう真鈴を見ながら、松嶋は、少し前を歩いている坂口に少し足を速めて追い付くと声を掛けた。
松嶋 「ねえ、坂口くん」
坂口 「え? 何ですか?」
松嶋 「まりんはね、前に1度、康介くんに振られたの。バレンタインデーにチョコを作って渡しに行ったんだけど、受け取ってもらえなかったみたいなのよね。あの子、強がりだから、冗談交じりにいうのよ私に。『もっと大きいチョコにすればよかったかな?、それとも包み紙が悪かったのかな?』なんてね。でも、その日の夜、部屋で1人で泣いてたわ、あの子……。それからずっと欠かさずに彼の出る試合には応援に行ってるの。私も一緒にね」
坂口は、エントランスゲートの手前にある大きな地球儀に目線を移した。ライトアップされた巨大な地球儀は、表面を覆う水が幻想的な光を放っている。
松嶋 「ねえ、坂口くん……。もっと近くをよく見なきゃ。身近で応援してくれてる人を大切にしてね。……気付かないでいるのは罪だと思うよ」
坂口は何も答えることができなかった。坂口の目には、前を歩く伊東と谷田の姿が映っていた……。
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