それから数カ月後。システム開発が進み、テストの計画を練るために小沢の協力を得ようと園村が相模原を訪れたとき、小沢は思いがけずげっそりとほおがこけていた。
園村 「どうしたんですか? げっそりしてますよ。体調を崩したんですか?」
小沢 「実は、美雪が入院してしまったのです……」
園村 「ええ?」
しかし、小沢は会社に看病していることも、婚約者がいることすら明かしていなかった。
小沢 「でも、このことを話したのは園村さんにだけです。口外しないでくださいね」
小沢は、いま自分が職場を離れるとどういうことが起こるのかを知っていた。相模原は小沢なくしては業務が成り立たなくなっていたのだ。新しい業務システムの先行稼働が半年後に迫っていたが、それまでの小沢の役割は代替が利かない状態になっていたのだ。小沢は美雪の看病を続けながら、不規則なシフト勤務を続け、自分自身も体調を崩していた。それにもかかわらず、1日の欠勤もなく働いていた。
園村は見るに見かねて西東京物流センター長に事実を伝え、小沢にまとまった休暇を与えるように進言した。しかし、センター長は、「あと少しで新システムが稼働するから、それまでなんとか頑張ってもらいたい」と、問題を先送りした。小沢自身も、「園村さん、内緒ですからね」と会うたびにくぎを刺され、園村は悩んだ。
とうとう園村は小沢を休ませることができなかった。そして、新システムのテストが終わり、いよいよ1カ月後に稼働開始を控えた12月の初旬、小沢にとって運命の日が訪れた……。
園村 「社長、今日は午後から相模原に行ってきます。システムテストも無事に終わりましたんで、小沢くんと打ち上げてきます」
布袋 「おぉ、そりゃええことや。園村さん、小沢にこれでうまいもん食わしてやってください」
布袋泰博は財布から2万円を取り出すと、遠慮する園村の両手に押し込んだ。園村は、本社物流センターから電車で2時間ほどかけて、相模原の西東京物流センターに到着した。小沢は、今日もいつもと同じように物流センターの事務所でテキパキと業務をこなしている。
園村 「小沢くん、こんにちは」
小沢 「ああ、園村さん、こんにちは。今日はどうされましたか?」
園村 「いやだなあ、この間約束したじゃないですか。システムテストの打ち上げに行こうって」
小沢 「あれ? 今日でしたっけ? す、すいません」
園村 「何か先約がありましたか?」
小沢 「いえいえ、大丈夫です。それじゃあ、定時になったらすぐ上がりますんで、あと少し待っててください」
小沢は、4時30分を指している壁掛け時計を見ながらいった。
園村 「分かりました。今日は社長から軍資金も出ていますので、とびきりおいしいものを食べに行きましょう」
園村が左手の親指と人差し指で輪っかを作りながらそういうと、小沢は嬉しそうに笑ってうなずいた。
西東京物流センターは神奈川県相模原市にあり、本社物流センターと同じ国道16号線沿いに大規模な倉庫を構えている。周囲は緑が多く、物流センターの国道と反対側の裏手には敷地内に小高い丘があって、よく整備された芝生のちょっとしたグラウンドがある。
昼休みには社員が大勢集まってきて弁当を広げたり、キャッチボールをする姿が見られる。冬の季節は空気が澄んでいて、西側に広がる丹沢の山々がくっきりと見える気持ちのいい場所だ。園村はこのグラウンドが気に入っていて、これまでも仕事の合間によく足を運んでいた。
小沢を待つ数十分、園村はグラウンドに出て、夕焼けの西の空に悠然と浮かぶ丹沢の山々を眺めていた。今日はやけに北風が強くて寒い。こういう風の強い日は、車の運転も気を付けないと、強風にハンドルを取られて思わぬ事故に遭う危険がある。人一倍、安全運転の園村は「今日は車で来なくてよかったなぁ」と独り事を言った。
やがて、終業を知らせるチャイムがセンター内に響き、園村は小走りに事務所へと戻っていった。園村が事務所に戻ると、小沢はすでにコートを着て鞄を抱えて、すぐにでも退社できる態勢で待っていた。
小沢 「園村さん、遅いですよ!」
園村 「いやぁ、すいません。今日はきれいな夕焼けでしたよ。じゃあ、行きましょうか」
園村がセンター長に一礼して事務所を出ようとしたとき、事務所の向こう側で電話に向かって叫ぶ声が聞こえた。
事務員 「え!? 事故!?」
何人かが電話口で叫んだ男の周りに集まってきた。
事務員 「ああ、なるほど……。そうか……3台ともか。で、けがは? え? 何? よく聞こえないぞ!」
受話器を首と肩の間に挟んだまま男がいった。
センター長 「おい、テレビつけてみろ!」
事務所内にあるテレビをつけると、ちょうど夕方のニュースが流れていた。
画面には上空のヘリコプターから映し出された東名高速道路に、数珠つなぎに連なる衝突した車の群れが横たわるシーンが映っていた。中には炎を上げている車も見える。ズームアップされた画面に、一瞬ホテイグループのトレードマークの付いたトラックが映し出された。テロップには、「東名高速で多重追突事故!死傷者多数」と……。
この事故で、ホテイドリンクの大型トラック3台が巻き込まれ、運転手は3人とも重傷を負って救急車で近くの病院に搬送されたが、幸い命に別状はなかった。しかし、積み荷は大破して全損。運悪く、その積み荷は当時流行りの郊外型の大規模ショッピングセンターのオープン記念セール用の発注物だ。
布袋社長も2日後に予定されているオープン式典に参加することになっており、この期に及んで商品を納品することができないことになれば、交通事故が原因だとしても、ホテイドリンクに対する信用問題への発展や違約金を請求される可能性もある事態だ。全国の物流センターに散らばる在庫を調査し、指定日時までに代替商品を届けることなど、到底不可能と思える状態に陥った物流センターの面々は、呆然と立ち尽くすだけだった。
小沢 「おい、みんな、動こう! 急いで代替品の手配をしないと間に合わないぞ!」
センター長 「お、小沢、何とかなるのか?」
小沢 「分かりませんが、何とかします!」
小沢は園村に目線を送ると、深々と頭を下げた。
小沢 「すいません、園村さん。私にこの仕事をやらせてください!」
園村は、黙ってうなずいた。
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