まず初めにチャッキーを知らない人のために、「チャイルド・プレイ」シリーズについて少々振り返りたい。
70年代末〜80年代は今からは考えられない程のホラー・キャラクターが登場し、大勢の観客の喝采を集めていた。「13日の金曜日」のジェイソン、「エルム街の悪夢」のフレディ、「ハロウィン」のマイケル・マイヤーズなどなど。いずれも個性豊かでシリーズ化するだけの魅力に満ちていた。
チャッキーの記念すべき第1作「チャイルド・プレイ」はそんなホラー全盛の88年に製作され、翌年日本でも公開された。監督を務めたのは「サイコ2」や「フライトナイト」で評価を得ていたトム・ホランドだった。
殺人鬼が自身の霊魂を人形に封じ込め、ほとぼりが冷めるのを待って、生者に魂を再び移し変え甦ろうとする設定はなかなか面白く、量産されていたホラーの中でもかなり目立っていた。実際作品の出来もかなり良く、興行的にも成功を収めシリーズ化が決定したのだ。
第2作はパワフルな演出で楽しませてくれたが、第3作は標的となる少年が成長してしまい、見ているこちらが「まだやっているかよ?」という気持ちになってしまう凡作だった。シリーズはこれにて終了と思っていたが、7年後、香港の映画監督ロニー・ユーによって再び息を吹き返す。
それが第4作「チャッキーの花嫁」だ。この映画の成功の秘訣は何と言っても徹底したバカバカしさを強調したことにある。それまでは恐怖を追求した内容が一転してコメディ映画へと変貌してしまったのだ。それまでにも時折間抜けな演出で笑わせたり、フレディのようにキャラクターにコメディ的な味付けを施すことはあったが、作品自体がコメディになっている例はあまりなく、そういう意味では「チャッキーの花嫁」は新鮮だった。ただ残念ながら7年のブランクは大きく、興行的には大成功とはいかなかった。
そのような理由で再びシリーズは終了かと思われていたが、それをあきらめていない人物がいた。今回監督を務めたドン・マンシーニだ。実は何を隠そう彼こそ真のチャッキーの生みの親。大学生だった時分にアイデアを思いつき、これまでシリーズ全作の脚本を書き上げ、「チャイルド・プレイ」シリーズを支え続けてきたのだった。
しかし次作のアイデアはあっても、映画化するとなればお金も手間もかかる。一時はとん挫した企画を大きくプッシュしたのは前作「チャッキーの花嫁」のロニー・ユー監督の「フレディVSジェイソン」の大ヒットだ。全米で1億ドルを超えるこの大成功にハリウッドは大きく揺り動かされ、「エイリアンVSプレデター」もゴーサインが出て実現したが、「チャッキーの種」も同様に企画が進むこととなった。
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