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コラム
» 2006年08月28日 03時14分 公開

小寺信良:情報の消費行動がもたらすネットの変化 (2/3)

[小寺信良,ITmedia]

 例えば日本でも放送機器を扱ういわゆる業界紙はいくつかあるが、それらの社員記者は「放送のプロ」ではない。最初から出版希望で入社してきた「出版のプロ」なのであり、今たまたま放送機器系ニュースの担当をしているに過ぎない。

 だから各メーカーが一生懸命説明しても、元々映像的な下地がない、テレビカメラなど一度も担いだことがない人に対して、「以前より20%軽量になりました、どうですかすごいでしょ」と言っても、それが体感でどれぐらいのことなのか、それによってどんな可能性があるかは分からない。そして結局載る記事はプレスリリース文の焼き直しであり、メーカーの接待次第でその記事の面積が変わるわけなのである。

 しょせんはそんなことだったら、発売・発表系のニュースは「Robo-reporter」で十分ではないかという話も、まんざらあり得ない話ではない。

重要視される「体験」

 プレスリリースからは絶対に得られないものとは何か。それは実際に試したり使ったりした結果である。

 この観点から、多くの雑誌類が誕生した。PC系ではベンチマーク至上主義とも呼べる雑誌もたくさんあったし、モノ系雑誌では80年代から続くカタログ系に対抗する形で、横並びテスト系とも言うべき雑誌が台頭した。この傾向は、今や記事の一つのスタイルとして定着しつつある。

 その底辺には、データはウソをつかない、という思想が垣間見える。同じ条件でいろいろなテストをして、結局どれが一番なのか、ある意味でランキングするわけであり、読者はよく分からんがとりあえず一番いいやつが知りたい、という図式を構成する。

 だが昨今は、次第に状況が変わってきたように思える。例えば報道系メディアでは、こんな事件があった、という第一報のスピードよりも、その背景などを取材した続報が重視されつつある。最近特に問題になりつつあるマスコミの過剰報道は、結局のところ人々が関心を持つポイントが裏情報的なものにシフトしてきたから、という見方もできる。

 それをAV系、あるいはモノ系に置き換えてみると、テストデータでその性能はわかるが、その製品の奥にある指向や主義、あるいは事情というのが見えない。消費者は、データはデータとして見ておき、これをふまえた上でその奥が知りたいと思うようになっている。

 このような取材、あるいは記事が出来なければ、ライターとして難しくなっていくのは時間の問題だろう。もちろんこう書きながら、調べ物をネットに依存する筆者も反省すべき部分が多分にある。すでにネットにたくさん載っているような情報ならば、改めて記事にするまでもない。ネット上にあるいろいろな意見を吸収して中立なポジションでありたいと思うその一方で、多くを知ることが自分の価値観を失うことにつながる危険性と背中合わせだ。

 最近筆者が積極的に行なっているのは、なるべく外に出かけて行って、多くの人にいろいろな話を聞く、ということである。もちろんメーカー取材などは以前から行なっているわけだが、それとは別に、立場というものを持たない人の話を聞くのが面白い。

 筆者が最近クラシックカメラにハマっているのはご存じかもしれないが、中古カメラ屋さんにいくと、大抵は店員でもないのにいつ行ってもそこにいる、いわゆる常連さんという方たちがいる。この人たちの持つ情報量は、凄まじい。

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