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創造のサイクルを考える小寺信良(3/3 ページ)

» 2007年04月16日 08時00分 公開
[小寺信良,ITmedia]
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 例えば「フォント」はそれに当たるのではないか。もちろん動作OSに合わせてデータとしての構造は変わるかもしれないが、タイプフェイス、いわゆる書体としてのデザインは、あと50年経っても残るものは多いだろう。

 欧文の活字というのは、15世紀グーテンベルクによる活版印刷の発明に前後して、系統化されていったと考えられる。その一方で東洋では、11世紀の中国で活版印刷がすでに発明されていたという説がある。

 いずれにしても、書体で古いものは、著作権が切れているというか、著作権なる概念が誕生する以前から存在するものであり、これは人類共有の財産であると言える。だがこれが「フォント」という形でソフトウェアになった場合、新しい著作物として著作権が発生する。

 したがって我々はこの著作物を購入して利用することになるわけだ。フォントというのはただ存在するだけでは役に立たないので、それらを使って表示したり、あるいは作品を作ったりすることになる。だが以前、放送ではこれが大きな問題になったことがある。

 ノンリニア編集がプロ業界でも普及し、パソコンでテレビ番組の制作が可能になったころ、そのパソコンに入っているフォントでテロップの制作を行なうというのは、普通に行なわれることであった。しかしあるフォントベンダーが、これほど大規模に頒布される作品中においては使用を許諾しないと言いだした。

 放送業界としてはこれは困ったことで、じゃあそういうライセンスを別途契約するか、ということになった。ただそうしても、どのフォントがライセンス上クリアで、どのフォントが使ってはダメなのか、システム上やソフトウェア上だけで見分けることは難しい。

 そこで放送局などでは、テロップ入れ専用のマシンを設定して、そこにはライセンス的にクリアなフォントしか入れない、というワークフローを作った。これはもちろん権利的にはクリアな方法ではあるが、想像してもわかるとおり、作業効率はバカバカしいほど低下した。

 現在もこのフォントライセンスの仕組みは続いており、およそ8割のフォントメーカーが番組使用において、別途使用許諾料金を設定している。これらBtoBでのライセンスの場合、それなりのルートさえできれば、権利問題は回避できる。

 ただ現在ネット上では、字幕を使ったコンテンツが盛り上がりを見せている。これらも小規模のうちは面白い面白いで済むが、例えオリジナルコンテンツの使用許諾がクリアでも、フォントのライセンスがクリアされていないために違法と見なされる可能性も出てくるだろう。そのようなユーザー主導で動いていくコンテンツに対しても、使用許諾料金の徴収は妥当だろうか。

 日本という国は、小泉内閣時代に知財立国を目指すべく方針を転換した。現安倍内閣もこの路線を継承している。結局のところ、知財を産む国になるというゴールをきちんと見つめておかないと、目先の利権が創造の芽を摘むことになってしまわないか。

 ライセンスの中に許諾条件を設定するのも結構だが、創造の現場でいちいちその条件を調べている場合じゃないのもまた現実だ。フォントの問題に限らずすべてのコンテンツについて、利用改変がどこまでならOKか大枠の線引きがなければ、うかうか表現もしてられないという世の中になってしまう。

 創造のサイクルは、著作権が切れたものだけが利用可能というだけでは、到底済まないのである。


小寺信良氏は映像系エンジニア/アナリスト。テレビ番組の編集者としてバラエティ、報道、コマーシャルなどを手がけたのち、CGアーティストとして独立。そのユニークな文章と鋭いツッコミが人気を博し、さまざまな媒体で執筆活動を行っている。

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