ITmedia NEWS >

れこめんどDVD:「毛皮のエロス ダイアン・アーバス 幻想のポートレイト」DVDレビュー(2/2 ページ)

» 2007年08月10日 11時27分 公開
[皆川ちか,ITmedia]
前のページへ 1|2       

 その日は、両親が経営する高級デパートの最新毛皮ショーが、ダイアン夫妻のアパートで開催された。撮影機材を運び入れるダイアンの横で引っ越しトラックが停まり、階上の部屋に新しい住人がやって来る。その男は、コートと帽子、手袋、さらに頭全体をすっぽり覆うマスクを着け、さらしているのは両目だけという奇妙な風体をしていた。ダイアンはこの奇妙な隣人に、一目で興味を覚える。夫アランの撮影を手伝いながらモデルのスタイリストを務め、客人たちにも気をつかうダイアンの神経は、今にもショート寸前だ。パーティーの席上で感情が昂り、泣き出しそうになったダイアンは部屋を飛び出す。窓に向かい、少女時代から気分を落ち着けたい時にそうしていたように、服を脱ぐ。

 2週間後、意を決したダイアンは、10年間手つかずだった自分のカメラを手にして、階上の隣人ライオネルの元へ向かう。彼は、全身に大量の毛が生える極度の多毛症で、そのためにコートやマスクで身体を隠していたのだった。サーカス団で狼男をやったり、キワモノ映画に怪物役で出演していたこともあるライオネルは、自分の体毛を利用したかつらを作りながら、ひっそりと暮らしている。優雅な精神と異形の肉体を備えたライオネルに、ダイアンは自分でも判然つかない感情を掻き立てられ、彼の写真を撮りたいと切望していく。

 このライオネルなる人物は、監督シャインバーグがある写真集から見つけた架空の人物である。彼を触媒にしてダイアンは、それまで貞淑な妻であり母であった自分から、激しい情熱をたたえた芸術家へと変化する。

 しかし、夫アランは妻の変化についていけない。以前はブラウスのボタンは上まで留め、髪をひっつめていた妻が、今は胸元の大きく開いたワンピースを着て、髪も無造作に下ろしている。フリークスたちと楽しげに会話しているのは、本当に自分の妻だろうか? 

 ライオネルとその仲間を招いたパーティーを中座したアランは、ダイアンに言う。

 「耐えられない。僕は普通の人間なんだ」

ニコール・キッドマン、“トム・クルーズ夫人”からの脱却

 ダイアン・アーバスを演じるニコール・キッドマンは、かつて“トム・クルーズ夫人”と呼ばれていた。オーストラリアのいち女優だった頃、ハリウッドのトップスター、トムに見初められ、共演作「デイズ・オブ・サンダー」(90)でハリウッド・デビューを飾ったが、その後10年近くもの間、女優としては評価されずにいた。

 彼女が女優として変化を遂げたのが、3度目の夫婦共演となった「アイズ ワイド シャット」(99)だ。くしくも監督は、先述したダイアン・アーバスの弟子、スタンリー・キューブリックである。以降のニコールは「ムーラン・ルージュ」「アザーズ」(01)と快進撃を重ねるが、彼女が女優として活躍の幅を広げていくのと対照的に夫婦仲は冷え、ふたりは01年、離婚する。翌年、彼女は「めぐりあう時間たち」(02)で、元夫より一足先にアカデミー賞を手に入れた。

 監督のシャインバーグは最初からダイアン・アーバス役にはニコール・キッドマンを想定しており、題材的にきわどいにもかかわらず、ニコールはふたつ返事で出演を承諾した。

 最初は夫に導かれるままだったダイアンが、いつしか夫以上の才能を目覚めさせてゆく様子は、“トム・クルーズ夫人”から脱却したニコール・キッドマンの姿にそのまま重なる。

セックスより卑猥な剃毛プレイ

 終盤、ダイアンがライオネルの体毛をかみそりで剃り落とすのだが、はっきりいってセックスより卑猥だ。多毛症の男をつるつるにするこの究極の剃毛プレイは、端から見れば変態者の営みだが、ここまでこの物語を見てきた私たちの目には、たとえようもなくロマンチックなものとして映る。また作中、ライオネルと接した後、興奮の余韻が残るダイアンは夫と交わりながら、「怖くて、いい」と陶然とする。

 スティーヴン・シャインバーグは風変わりなヒロインがお好みらしく、前作「セクレタリー」(02)では、上司とのSMを通して解放されていく自傷癖のある若い女性を描いていた。普通ではない、すなわちアブノーマルな彼女たちの“変態”性を、シャインバーグは治すべき病としてではなく、共感をもって見つめている。

 抑圧から解放へ、普通からフリークへ。

 正攻法の伝記映画ではないが、ダイアン・アーバスという不世出の芸術家の肖像を、的確に、愛とエロスをもって描き出している。

前のページへ 1|2       

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.