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21世紀型フェアユース論小寺信良の現象試考(2/3 ページ)

» 2008年10月27日 16時30分 公開
[小寺信良,ITmedia]

どのように運用していくか

 著作権法上、30条をはじめとする例外規定に当てはまらないコンテンツ利用は、原則的にすべて権利侵害である。そう考えるとほとんどの日本人は、過去一度も著作権侵害をせずに生きることができないぐらい、広範な網がかかっていることになる。

 それが今まで社会的混乱を招くことなく済んでいたのは、著作権法が親告罪だからである。つまり権利を侵害された主体本人が侵害を訴えない限り、いくら著作権侵害の現場を見つけたからといって、第三者が訴えることはできない。窃盗罪とは違い、黙認がアリなのである。

 しかし中には権利者側が権利侵害で訴えてはきたものの、一般常識として罪とするのはおかしいものが現れる。これまでの裁判では、確かに条文としては侵害だが、被害実態がなかったり、社会的に許容すべきものに関しては侵害を認めない例もあるにはあった。詳しい説明は省略するが、興味がある人は「市営バス車体絵の写真使用事件」などが参考になるだろう。

 日本版フェアユースは、このような例外規定ではカバーしきれない微妙な問題を、個別の事情をかんがみて裁判で決着させる事ができる。つまりこれまで、オプトイン方式でしか事業が開始できなかったコンテンツビジネスを、Googleのようなオプトアウト方式に転換できるということなのである。

 権利侵害であると訴え出るモチベーションの多くは、それによって他者が利益を得ているからである。オレのものでもうけているなら分け前をよこせ、というというわけだ。最近ではこの利益とは、現実のお金のことだけでなく、「便利になった」というところまで含まれ始めているように思う。デジタルによる複製では、個人利用であっても補償の必要があるという考えは、この傾向が強まっていることを表わしているのではないだろうか。

 しかし日本版フェアユースでは、利益を得ているかどうかが侵害の基準にはならなくなるだろう。誰かのもうける権利、つまり現実には実益はなく、単にもうかるかもしれない、もうかったはず、というあいまいな可能性を侵害しているかどうかではなく、今存在する誰かの市場を侵害しているかどうかという、産業的視点を重視することになる。今まではそこの判断が、著作権法に欠けていたのである。

 フェアユースの効果的な運用のためには、裁判官の再教育が必要となる。例えば「カラオケ法理」のように、もともと特殊な事情の判例が、どんどん別の事件にも応用されて拡大していくようなロジックは、これによってリセットされるべきだ。特にネットビジネスは、消費者の行為を自動化することで成立するケースが多い。サービスの提供者ばかりでなく開発者まで含めて侵害幇助(ほうじょ)の罪に問われる可能性があるのならば、エンジニアはだれもネットの技術を開発したがらなくなる。

 その反面、実は裁判官が楽になるケースも多いだろう。過去の判例をかんがみて法的安定性・整合性を取ろうとあがくよりも、産業規模などはっきり数字として把握できるデータを元に、ケースバイケースで今もっともフェアと思われる判断が可能になる。つまり1つ1つの裁判に、立法的要素が加わることで、過去ではなく未来を見て判断することが出来るわけである。

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