熊本阿蘇山を走っていると、なにやら不思議な影が視界に入り、皆思わず車を停めてしまう場所がある。
踊るような植木群を前に、一体どんな芸術家の前衛的な試みかと思う人もいるだろう。だが、作者の正体は「ただのフルーツ屋のおじいさん」なのだ。
世の中には、作らずにはいられない人たちがいる。役に立つとか評判になるとかを超越して、“自作”せずにはいられない人たちが。そんな人たち自身と、彼らが作ったものを、ライターの金原みわさんが追いかけます。
珍スポトラベラー。全国の珍しい人・物・場所を巡り、レポートを行う。都築響一氏主催メルマガ『ROADSIDER’s weekly』、関西情報誌『MeetsRegional』、ウェブメディア『ジモコロ』にて連載中。著書『さいはて紀行』(シカク出版)発売中。
熊本阿蘇山。熊本地震から数カ月たつが、まだ震災の爪あとは大きく残っており周辺では復旧作業が続いている。通行止めが解除されていないところも多く、迂回しながら目的地のやまなみハイウェイへと車を走らせる。
高原では爽やかな風が吹き抜ける。緑豊かなここは、夏の暑さも感じないくらいに涼しい。ドライブに最適なやまなみハイウェイの傍に、今日の舞台の「ヒゴタイフルーツ」はある。
「今年、76になる。はぁっはははは。まだまだ頑張らんとな」
日に焼けた顔で笑うこの老人が、奇妙な植木達の作者である。
「いろいろ作ったぁで、案内しちゃる!」
若宮さんが、早速その渾身の作品を1つずつ紹介してくれた。
「バット持っちょるこれはな、イチロー。はぁっははっは」
「これは朝青龍じゃあ! なぁ? 強そうじゃろぉ〜」
「これはクマモンと、象さんじゃあ」
2mはあろうかという大きな作品である。かわいい顔のクマモンだが、妙に迫力のある図体(ずうたい)は、なんだか恐ろしいヒグマの類を連想させた。
――あれ? こっちもクマモンだ。クマモン、お好きなんですね。
「そじゃ。しかもこれはほかにないぞ、クマモンの家族じゃぁ。左から、クマモンのお父さん。ほんでお母さん。そんでクマモン」
――クマモンって家族いたかな……。
「そりゃ、いるよ! ほら、お父さんのイモもちゃ〜んとぶら下がってるじゃろ。はぁっはははは」
今にも動き出しそうな植木達の一体一体には、細部までストーリーが作られていた。これはもはや二次創作とはいえないだろう。若宮さん自身の世界を表現した、オリジナル作品なのだ。
――合計で何体くらいあるんですか?
「数えたこともねえけど。700くらいかな」
――すごい数ですね。いつ頃から始めたんですか?
「もう50年すぎたよ」
――50年! 半世紀じゃないですか。
――不思議な形ですけど、どうやって作っているんですか?
「どうって、苗木を買ってきて、こーしようあーしようと頭の中で思うわけよぉ。枝を針金で束ねて、伸びるの待って刈る」
――え、それじゃあ、でき上がるまでにものすごく時間がかかりませんか?
「2年でも3年でも4年でも待つばってん。もう年がたらんけえな、困ったもんじゃあっははははは」
「思うようにできたもんもあれば、ず〜っと作ってて、とうとうできんかったもんもあるばってんな」
――このあたりは台風とかは大丈夫ですか?
「い〜〜っぱいくるよ。高台やからひどいもんだって。ひもで縛って固定してなぁ」
――こんな苦労して作って。販売したりしないんですか?
「昔は商売にしとったけど。向こうに見えてるのあるじゃろ、あれはみ〜んな昔の売れ残り。20年前ここに来たときに持ってきた」
「商売にしたら大変じゃあ、今は趣味で作っておる。雨の日は刈らん。暑い日も刈らん。放ったらかしにして気が向いたら刈ってな」
――特に肥料やったりもしないんですか?
「肥料とかやったら、そんな、どんどんどん伸びて大変じゃあっはははぁ〜!」
若宮さんは笑いながら、叫んだ。
放ったらかしという植木を、若宮さんは刈る。言ってしまってはアレだけど、パッと見た感じは適当に刈っているように見える。
実はこのような造形には、「トピアリー」という正式名称が付いている。
日本にも海外にも愛好者が多数いるこのトピアリー。トピアリーは計算され尽くし形成されるものが多く、そこに人工美を感じることもまた多い。
だが若宮さんの場合、たった一人で作り続けた50年間でそれは独自の世界へと変貌を遂げた。
若宮さんの作るトピアリーはどこかゆがんでいるような形をしているが、それがまた不思議な、今にも踊り出しそうな躍動感を生む。
木の育つ力と、若宮さんの造形。絶妙なバランスによってできたトピアリーは、植物と動物が融合した新しい生命体へと進化したようである。
「作ったきっかけなあ。親父がしよったのをずっと見とったからに。親父が盆栽好きで、1人でしよってん。ほら、これ作ったのはおれの親父じゃ。もちろんその親父はもう居ないけんど」
そこには日光浴でもしているような翼を広げた大きな鳥がいた。50年以上の月日がたったこの鳥は、大地にドッシリと根を張り、数あるトピアリーの中でもひときわ目立つ。まるで、全ての親鳥のようでもある。
――若宮さんの息子さんは? こういうの作っているのですか?
「いーや。息子には、いつまでやっとるんじゃいわれとるわ」
「わしもなぁ、今もいつでもやめようと思ってる。嫌になって刈るのやめたりして」
「でも、刈らんといたら、そしたら気になってしょうがなくなるんじゃぁ。あっはははは!」
人生の大半を一緒にしたトピアリー。もう既に、若宮さんの人生そのもののようになっているのだろう。
「今な、作っちょるのがある。大体形ができっとけどな。これ何じゃと思う?」
そう言って若宮さんは、うれしそうにニヤニヤと笑った。
「何にするか分からんやろう?」
――分からないなあ。
「実は……五郎丸を作ろうと思うとるんじゃ! あっはははは」
――まさか、五郎丸だとは!
「上に頭ができとるだろうが。次はあのポーズだ」
――いつごろ完成予定ですか?
「さあ〜。完成するかもしれないし、しないかもしんね」
若宮さんの作品を見ながら、このヒゴタイフルーツ名物の「味来トウモロコシ」をいただく。大分県竹田産というこの味来トウモロコシ、甘みが強く、かむと中からジュワッと汁が溢れてくる。お世辞ではなく、人生の中で一番おいしいトウモロコシだった。
横を走るやまなみハイウェイ、通る車通る車吸い寄せられるように停まり、不思議そうな顔で若宮さんの作品を眺める。
そして、気まぐれに食べたトウモロコシのおいしさに驚き、みんなトウモロコシを買っていく。
趣味でやっているという若宮さんのトピアリーは、多大な宣伝効果を兼ねているようだった。それを知ってか知らないでか、この日もマイペースに若宮さんはトピアリー作りに精を出していた。
若宮さんが切るのをやめると、このトピアリー達はものの数カ月でその命をなくすだろう。そしてきっとおそらく、若宮さん以外でこの世界を作ることは不可能だ。
今日も高原の風に吹かれながら、まるで踊るようにトピアリーは根を張り枝を伸ばす。
どうかこのいとしいユートピアが、まだまだずっと続きますように。
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