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銀座ソニービルが“特別な場所”であり続ける理由(1/2 ページ)

» 2016年11月15日 22時27分 公開
[芹澤隆徳ITmedia]

 前回の東京オリンピックが開催される3年前――日本が高度成長期のまっただ中にあった1966年に銀座ソニービルは建設された。それから半世紀を経て老朽化が進み、ついに建て替えが決定したが、ソニーにとって、またソニーファンにとっても銀座ソニービルは特別な場所であり続けている。「It's a SONY展」の展示からその理由をひもとく。

銀座ソニービル。数寄屋橋交差点の向かいから撮影したもの

 ソニービルが建っているのは、東京・銀座の数寄屋橋交差点という一等地だ。ここで商品を販売しても採算はとれないとして、ショールームとして活用することが決まったが、狭い土地は多くの商品を展示するには不向きだった(それでも庭を含めて706m2ある)。そこで設計を依頼された建築家の芦原義信氏が考案したのが「花ビラ方式」だ。

「花ビラ方式」の構造。内部がらせん状になっている建物といえば、会津若松の「さざえ堂」を思い出す人もいるかもしれないが、芦原氏は知らなかったようだ。後日、さざえ堂のことを知って「江戸時代の知恵にびっくりした」と書いている

 花ビラ方式というのは、1つの階を“田”の字型に4つに分け、90cmずつ段違いにして、上から下まで続く大きな螺旋(らせん)階段のようにしたフロア構造のこと。ソニービルは8階建てということになっているが、実際には全25層のフロアがあり、中央の柱を中心に1周すると通常のビル1階ぶん下がることになる。また、どこのフロアいても上下2段ぶんの空間を見渡すことができるのも特長で、各フロアが連続性を持った「縦型のプロムナード」となった(盛田昭夫氏が1966年に日本経済新聞に寄稿した『銀座の庭』より)。

 外観もオリジナリティーあふれる佇まいだった。芦原氏はソニービルの設計を手がけるにあたり、「いかにもSONYらしい最新鋭のビルにしたい」という要望を受け、その構造とともに「都市にあるビルとして夜の景観も見応えのあるものにしよう」とした。そこで選んだのは、エッフェル塔のような断面を持つアルミ格子(ルーバー)。この形状によって反射光と透過光がミックスされ、夜に見ると「なんとも不思議な壁面の色合いを作り出す」(芦原氏の回想より)

ソニービルの設計図。断面図も詳細に描かれている
工事の様子

 さらにソニーは、晴海通りに面したエレベーターの外壁に2300個ものテレビ用ブラウン管をはめ込み、自在に画像を映し出すことに成功したという。ただし、壁面広告物の規制があり、結局は模様と「火の用心」のサインくらいしか表示できなかった。

 ほかにも1階玄関ロビーにパネル・ヒーティングを設置したり、日本最速(当時)のエレベーターを導入したりと、当時の最新技術が惜しげもなく投入されたソニービルは、高度成長期と当時のソニーの勢いを象徴するエピソードにあふれている。現在でも銀座の“夏の風物詩”となっている「Sony Aquarium」が始まったのは1966年で、そのときのテーマは「日本周辺の魚」だった。1968年に同社が初のトリニトロンカラーテレビ「KV-1310」を投入したとき、新製品発表会が行われたのもソニービルだった。

50年前、ソニービルの完成記念に作られたソニービル型のラジオ「9R-41」。中波放送(530〜1605kc)を受信できた
50年前の佇まいをそのまま残す柱。当時の写真と一緒に建物自体を展示品にしている
初のトリニトロンカラーテレビ「KV-1310」(1968年)。製品発表会はソニービルで行った
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