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天使と悪魔の楽器「グラスハープ」の音色が人体に与える影響とは?

» 2017年03月03日 06時00分 公開
[溝田萌里ITmedia]

 その音色は天使の声とも、悪魔のささやきともいわれ、数奇な運命をたどってきた楽器「グラスハープ」。筆者はその魅力にとりつかれて、演奏をはじめて10年近くたつ。

 そして、近年はこの楽器の奏でる音が、人体に良い影響を与えるという研究結果も発表されている。この記事では、そんな謎に満ちたグラスハープの歴史をひもとくとともに、グラスハープの演奏家で研究者でもある田村治美さんによる音響学的な解説を交えながら、この楽器の魅力を紹介していきたい。

取材協力:田村治美

東邦音楽大学、国際基督教大学及び日本大学理工学部大学院講師。グラスハープ、ピアノなどの演奏活動の他、施設の音楽活動や音楽療法の研究をおこなっている。「ミュートス」代表。日本音楽療法学会認定音楽療法士。ドイツ芸術家国家資格取得。学術博士。


100年で消えた数奇な運命

 そもそもグラスハープという楽器をご存じだろうか。いくつも並べられたワイングラスの縁(ふち)を、ぬれた指でこすって演奏する楽器といえば、テレビで見たことがあるという人もいるかもしれない。世界を見渡しても演奏家は少なく、楽器メーカーもなく、ともすれば隠し芸なイメージを抱かれがちなマイナー楽器であるが、歴史的にも科学的にも語るべき点は多い。

 もともと、17世紀の科学者の実験などに登場していたグラスハープであるが、18世紀頃に広く楽器として演奏されるようになり、1761年にグラスハープを改良したアルモニカが発明されたことによってヨーロッパ中で大流行する。

 当時はモーツァルトに愛されるほどに美しい音色が絶賛されたにもかかわらず、その後19世紀には悪魔の楽器ともささやかれて、最終的に姿を消したという数奇な運命をたどる。

天使と悪魔 2つの顔

 天上界を思わせるようなこの音色に多くの人が引きつけられ、トーマス・ジェファーソンやゲーテ、パガニーニといった著名人も「天使の声」などと絶賛した。アルモニカの発明者であるベンジャミン・フランクリンは毎夜のように演奏し、その音で目を覚ました妻は「自分が死んで天国に来た」と勘違いしたというエピソードも残っている。

 しかし、19世紀になると音楽の流行の変化や楽器の持ち運びの難しさから衰退していき、独特な音が「人間の神経に悪影響を及ぼすのではないか」といううわさも流れるようになった。一時は天使にも例えられた楽器は、悪魔の楽器とも言われて禁止されるようになり、さまざまな要因も手伝ってついには姿を消してしまう。

 余談であるが、アニメ『黒執事II』の第6話で、悪魔が演奏するこの楽器の音色が人の精神を惑わせる一方で、逆にその音が人を癒すというシーンがあるので、興味のある方にはぜひ見ていただきたい。

グラスハープの高周波音 人体への影響は?

 さて、一時は神経に悪影響があるのではないかともうわさされたグラスハープだが、実際のところ人体に何らかの影響を及ぼすのだろうか。

 グラスハープの音について音響学的な視点から研究している田村治美さん(実は筆者の母なのだが)によれば、グラスハープの音には、通常の弦楽器と比べて人間に聞こえない音が多く含まれているという。

 グラスをこする音の周波数を分析し、その成分を調査したのが以下の図である。グラスをこする音には、人間の可聴範囲を超える20kHz以上の高周波音、俗に言う超音波が多く含まれているのが分かる(赤い線の右側が20kHz以上)。また、グラスはその素材に鉛が何パーセント含まれているのか、つまりグラスの素材によって音色が大きく異なり、周波数特性も異なることが分かったという。

生理実験と心理実験の結果が違う

 田村さんは、この音が人体に影響を及ぼすのかという視点から、グラスを使ってさまざまな実験を行っている。

 例えば、超音波を含んだグラスの音と含まない音を被験者に聞かせて、人体への影響を調べた実験結果が以下である。一口に影響といってもいろいろあるので、音を聞いているときの人の生理反応と心理反応を複数の観点から調査した。

 その結果、「生理的には心地よさを得られているはずなのに、心理的には不快に感じている」という矛盾した結果が得られたという。生理反応では、クリスタルグラスとカリクリスタル(グラスa、b)による差はみられるものの、超音波を含んだグラスの音の方が精神性発汗が抑えられ、α波もより多く出た。一方で、音を聞いたときのアンケートでは「心地悪い」「不快だ」という感想が多かったのである。

 「生理実験の結果と心理実験の結果が一致しない」ことについて、こうした二面性が表れているのは興味深いことだという。

実際に演奏してみてどうか

 では、実際にグラスハープを演奏したときの実感はどうだろうか。筆者は、練習中に眠気を覚えることがあるし、グラスハーピストとして演奏も行っている田村さんは、「長時間練習した後は、ピアノを演奏したときとは別の、お風呂に入った後のような脱力感がある」と話す。また、「グラスハープという楽器の特性上、音が鳴らなかったり、かすったりすることがあるため、そうしたときはイライラする」とのこと。

 「こうしたことから考えると、同じグラスの音でも、演奏の質によっては、出ている高周波音の波形も違うだろうし、それによって不快であるか心地よいか、リラックスできるかの感じ方も変わってくるのかもしれない」。もっと深く考えると、「弾き方によって良い高周波音と、そうではない高周波音出るかもしれない」と田村さんは語る。

 いずれにせよ、実験結果としては体にプラスの作用を及ぼしているようであるし、歴史上のグラスハープ演奏家の年齢のデータを見ても、たいてい皆長生きしているようである。筆者自身、眠気や心地よさを感じることはあっても、神経に悪いと思った経験はない。グラスハープに携わる者としては人に良い影響を与えると信じたい。

天使か悪魔か 人を魅了してやまないグラスハープ

 グラスハープの魅力をさまざま紹介してきたが、歴史的に見ても、関わった人を捉えて離さない魅力があるように思える。筆者も楽器を演奏するようになって10年がたち、何より身近な人(母)がこの楽器の物理的、社会学的研究や、演奏、編曲、作曲にまい進しているのを間近で目にしている。

 田村さんも語ってくれたが、「楽器はワイングラスから作らなければ存在しないし、持ち運びは大変、すぐに割れるということもあって、特に梱包の際はいつも辟易(へきえき)する」けれど「楽器の持つ不思議な魅力や音色の美しさにはやはり並ぶものがないように思える」。

 天使のようでもあり、悪魔のようでもある、その両面性が人々を魅了してやまない楽器、グラスハープ。これを機会に興味を持って下さった方は、ぜひその音に耳を傾けてほしい。

グラスハープを演奏する母と筆者

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