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コラム
» 2018年02月19日 18時30分 公開

「SONY」を再び特別なブランドに “平井ソニー”の6年間の軌跡 (4/6)

[本田雅一,ITmedia]

テレビは子会社化、PCは売却

 社長になって間がない頃、平井氏は2つの大きな問題を抱えていた。

 多くの大規模な電機メーカーが大きな事業を子会社として分離し、それぞれの採算性を各領域ごとにきちんと出していくことを重視していたのに対して、ソニーは本社が全ての事業を統括していた。

 その分、既存の概念に当てはまらない事業領域や新タイプの商品は本社側で費用や製品化リスクを負うことで生まれやすかったが、本社機能が極めて大きく、各事業が支払う“本社費”の大きさが各事業の黒字化におけるハードルになっていたのだ。かつてのように、大きな利益をエレクトロニクス事業で出していた頃なら問題はなかったが、ソニーが取り組んでいる主要なエレクトロニクス製品の多くが成熟していた中にあってはムダも多い。

 そこで後々、ソニーは若手から上がってくるアイデアに対して社内ベンチャー的にプロジェクトを立ち上げていく「SAP」(Seed Acceleration Program)をスタートし、実際に製品化していく道筋を付けたり、社長直下の組織として新事業領域を開拓する「TSプロジェクト」という特命プロジェクトを行う部門、それに最近になって発表した「aibo」を同じく社長直下で進めたりと、イノベーション領域に関しては本社側で投資して製品化。一方で、本社機能は徐々にコンパクトにしていき、成熟した事業領域は分社化を進めた。一度にそうした改革を行ったわけではない。伝統的に大きな本社であることが競争力にもつながっていたソニーを、社内を納得させながら少しずつ変えていった。

17年11月の「aibo」発表会で撮影。左は開発チームの川西泉さん

 最初に手を付けたのは、当時のソニーが抱えていたテレビ事業とPC事業。この2つの大赤字事業で、立て直すのか、事業継続を諦めるかの二者択一の状況だった。結果、平井氏はテレビ事業の子会社化(その後、オーディオ事業も分社化してテレビ事業と統合)と、VAIOブランドで知られたPC事業の売却という選択肢を採った。

 後になって平井氏は「多くの社員をソニーから外に切り離して出してしまうVAIO事業の売却は非常につらい決断だった。しかし、再び成長していくために、きちんと周りが納得する体制を整えねばならず、非常に心痛むが重要な決断だった」と話した。しかし、いきなりVAIO事業を切ったわけではない。

「苦渋の決断」としてPC事業の売却とテレビ事業の分社化を発表した平井氏(14年2月の記者会見で撮影)

 最初の中期事業計画をまとめていく過程で、テレビとPC、両方の事業責任者に対して“黒字化の必達と反転・成長戦略”について、計画の立案とその実施を期限を切った上で要請した。両社とも黒字化はできなかったが、テレビ事業は高付加価値領域にフォーカスし、収益性を高めるための戦略や、将来に向けた差異化技術のロードマップを示せたのに対し、PC事業は明確な方向性を打ち出せず、また収益の面でも好転が見られなかったため売却となった。

 本社側の判断だ、バシバシと物事を決めていくように見えていたかもしれないが、平井氏は対話をしつつ、しかし結果を求め、結果に対する評価を事業責任者とともに反芻(はんすう)して向かうべき先を決める。至極まっとうなやり方なのだ。

 重い本社費が軽減されたことや、グローバルでの営業戦略改善などで、テレビ事業の収益性はその後、大きく改善していくことになる。規模は縮小したものの、収益性という面ではかなり大きな事業に発展しており、ソニーというブランドのアイコンとして高画質化技術に対する評価も高い。

 一方、現在は独立した事業体として黒字化を果たしているVAIO。あるいはソニー社内での立て直しも可能だったかもしれないが、事業サイズをコンパクトにできたからこそ収益化を果たせた面もある。当時はソニー・エリクソンから発展したソニーモバイルネットワーク社との競合や、コンシューマー向けPC事業の不透明さなどもあり、ソニー内に残すことは難しかっただろう。

 現VAIOも一般の消費者向け向けではなく、企業向けやEMS事業に力を入れることで事業改善した側面もあることを考えれば、平井氏が最初に行ったこの決断はその後のソニーの流れを作る上で正解だったといえる。

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