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コラム
» 2018年02月19日 18時30分 公開

「SONY」を再び特別なブランドに “平井ソニー”の6年間の軌跡 (2/6)

[本田雅一,ITmedia]

 米国でコンピュータゲーム関連のイベントがあると、必ずノリノリで記者会見に登壇し、まるでDJのような立ち振る舞いで来場者を沸かせ、盛り上げる。“楽しい日系米国人”のようにしか見えなかった「Kazu Hirai」が、SCE全体のトップになるのか! と、当時は驚いた記憶がある。日本で開発系チームをリードしてきた人物が昇格するのではないか、と予想していたからというのもあるが、日本企業なのだから「日本語を話す人の方がいいのでは?」という気持ちもあった。

 ところが設定されたインタビュー現場に行くと、平井氏は流暢(りゅうちょう)な日本語を話し始めた。いや、そもそも日本で生まれ育ち、途中、米国に家族で住んでいた帰国子女ではあったものの、大学は国際基督教大学。同級生のジョン・カビラ氏と2人してクラブイベントを学園祭でやり、ダンスフロアを大いに盛り上げたという。

 実はこのときまで、平井氏に(少なくとも筆者の周囲には)日本語で取材した人はおらず、海外でもイベント中はずっと早口の、しかししっかりと聞き取りやすい英語で話をしていたため、まさか日本で生まれ育っていたとは思いもよらなかった。おそらく、そうした誤解をしていたのは僕だけではなかったはず。今では懐かしい思い出だが、他の記者も平井氏のネイティブ言語は英語だと思っていたという。

 平井氏は、「米国市場が担当なのだから、日本の記者には全体を束ねる人か、日本市場の担当が語るべき」であり、「米国に対してメッセージを発信するならば、全て英語でコミュニケーションすべき」と考えていた。そのため、平井氏がSCE米国法人の社長時代、何度かインタビューを申し込んだものの、そのたびに断られていた。自分の役割の外で余分な情報を発信することが組織にとってマイナスにしかならないと分かっていたからだろう。「日本向けのメッセージについては、本社の方で」と断りのメールに記されていた。

 もともとがエンターテインメント企業のマーケテイング出身だけに派手に見える部分もあるが、自分の立ち位置や“見られ方”などを意識して、余計なことは決してしない。自分自身を客観視できる人物なのだと感じたものだが、今、改めて振り返ってみると、平井一夫という経営者は、視野が広く、自分を取り巻く環境や人物がよく見える、極めて良い観察眼を持つ人物だったのだと思う。加えて、“対話”を重視していた。

自信を感じるが、過剰ではない

 「平井さん、日本語しゃべるんですね。驚きました」と開口一番に言うと「よくそう言われるのだけど、もうバリバリ日本人ですよ。米国人のふりをしているつもりもない。子どもたちは米国の環境に馴染んで育ってきたけれど、僕は日本生まれ、日本育ちです」と話し始めた。

 プレイステーション 3(PS3)が発売されて間もない頃のことだ。高音質のSACDプレーヤーやBlu-ray Discプレーヤーとしての機能など、PS3はソニーグループとして戦略的にさまざまな役割が求められていた。

Blu-ray Disc対応のユニバーサルプレーヤーとしても注目されたPS3

 SCE社長の前任者、久夛良木健氏はオーディオやビジュアル製品が大好きな、実にソニーらしい人物だったが、平井氏はソニー・ミュージックのマーケティングがキャリアのスタート。電機業界はよく知らない、マーケティング優先の人物だとの評価だったが、インタビューを始めると少し違う顔が見えてきた。

 「僕はオーディオマニアじゃないし、画質に関しても何かを語れるような人間じゃない」――そう話し、PS3を発展させる先に旧来からのソニー的な「音と映像にこだわってみました」的な付加価値の付け方はしないよ、ということを示唆した。一方では「僕は音も映像もよく分からないから。でもPS3はゲーム。ゲームプラットフォームとして成功させる戦略を持っている」と自信のコメントもあった。

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