幸福のICカード“FeliCa”のこれから 神尾寿の時事日想:

» 2007年06月15日 12時33分 公開
[神尾寿,Business Media 誠]

 1994年、ソニーの開発者達は、自らが作り上げ、未だ日の目を見なかった技術に1つの名前を付けた。「幸福」を意味する“Felicity”と、”Card”を組み合わせた造語。幸せのカード、非接触IC「FeliCa(フェリカ)」の誕生である。

 それから10年余り。FeliCaは鉄道と決済を軸に、目覚ましい成長と普及を遂げた。ふと街中を見渡せば、多くの人がFeliCaを内蔵したカードもしくは携帯電話を持ち、何かに“かざす”という利用シーンは日常的な光景になろうとしている。

 ソニーにとっても、FeliCaは象徴的なビジネスになった。同社は映像・放送など一部の分野を除けば、コンシューマー市場の“民需”で成長してきた。

 FeliCaは今後、どこに向かうのか。

 本記事では、ソニーFeliCa事業部門営業総括担当部長事業開発部統括部長の納村哲二氏に、FeliCaの現在と未来について話を聞いていく。

9年で1億、それから1年半で2億

 FeliCaは2001年にJR東日本の「Suica」で採用されたことをきっかけに、その後6年で急速に普及した。FeliCaはソニーにとって、事実上初めての社会インフラを担うビジネスになった。FeliCaがこれまでどのように発展してきたか、またソニーがFeliCa事業にどのように取り組んできたかについては、以下の各記事に詳しくまとめたので、そちらを参照してほしい。

 →ソニーにとってのFeliCaビジネス(前編)

 →ソニーにとってのFeliCaビジネス(後編)

 →FeliCa/モバイルFeliCaの歴史を振り返る(前編)

 →FeliCa/モバイルFeliCaの歴史を振り返る(後編)

ソニーFeliCa事業部門営業総括担当部長事業開発部統括部長の納村哲二氏

 当初、鉄道系のSuicaと電子マネーのEdyだったアプリケーションも大幅に広がり、今ではクレジット、会員証やポイントカード、社員証、クーポンなど様々な分野で活用されている。今年3月には、カード向けFeliCa ICチップの累計出荷数が2億個を達成した(3月1日の記事参照)

 「(今年3月の)2億個突破というのは、ソニーにとっても大変意義深いものでした。我々は最初のFeliCaチップを1996年に出荷しているのですが、そこから1億個の出荷を達成するのに9年かかりました。しかし、1億個から2億個までには1年半しかかからなかった。これはFeliCaの普及が加速度的に進んでいることの証左です」(納村氏)

 すでに東京など都市部では、多くの人がFeliCaサービスに取り囲まれて生活している。利便性の高さが評価され、ユーザーの認知度や利用意欲も向上してきている。最近では、首都圏の私鉄・地下鉄・バスで利用可能な「PASMO」が、予想以上の人気でFeliCaカードが足りなくなるといった“事件”が起きた(4月11日の記事参照)。利用シーンの拡大に伴って、雪だるま式にFeliCaの需要も増大している。

 「最近のFeliCaを取り巻く環境変化としては、マルチタイプのリーダー/ライターの本格展開が始まったことがあります。これにより、カードやおサイフケータイ(モバイルFeliCa)だけでなく、リーダー/ライターでも『マルチアプリケーション化』ができました」(納村氏)

 2006年、複数の決済方式が並立するなかで大きな話題になったのが、“マルチ対応”である。マルチ対応を求める声が大きくなったということは、裏を返せばFeliCaの展開分野が急速に広がったことでもある。すでにFeliCaは日本のIC乗車券や決済、会員証では事実上の標準(デファクトスタンダード)になっているが、今後は「エンタテイメントなど、もっと“楽しい分野”に広げていきたい」と納村氏は話す。

普及が始まる次世代FeliCa IC

 この1年を振り返ると、FeliCa対応サービスの拡大に合わせて、FeliCaチップも進化している。

 FeliCaチップは大きく2つに分けられる。1つは本記事で取り上げるカード型のFeliCa。そしてもう1つは、携帯3キャリアのおサイフケータイに搭載されているモバイルFeliCaだ。

さまざまな種類のFeliCaカード。なお写真には写っていないが、最近では単機能のものだけでなく、接触ICとのデュアルタイプも出てきている(左)。モバイルFeliCaを搭載した携帯電話の3キャリア共通の通称が「おサイフケータイ」。おサイフケータイ用アプリもさまざまなものが登場している(右)

 まず、おサイフケータイに搭載するモバイルFeliCaは「第二世代モバイルFeliCa ICチップ」に進化した。FeliCaチップの容量拡大が行われたほか、モバイルFeliCa同士が直接データ交換する「iC通信モード」など新機能が実装された(3月9日の記事参照)。この第2世代モバイルFeliCa ICチップは、昨年のドコモ 903iシリーズから採用されており、現在ドコモの903iシリーズ(2006年冬モデル)(2007年夏モデル)や、auの2007年春モデル(W51Pを除く)2007年夏モデル(W52Pを除く)のおサイフケータイに搭載されている。

 一方、カード型FeliCaも次世代型の発表が行われている(2006年11月の記事参照)。この次世代FeliCa ICでは、メモリ容量が従来の4Kバイトから9Kバイトに拡大されたほか、データ転送速度が従来の212kbpsに加えて、倍速の424kbpsに対応している。この第2世代FeliCa搭載のカードは、「2007年の秋頃から登場する」(納村氏)予定だ。

 「(FeliCaサービスで)メモリ容量の拡大やマルチアプリケーションのニーズが高く、おサイフケータイ向けのモバイルFeliCa ICだけでなく、カード向けのFeliCa ICも容量拡大を行いました。

 

 例えば、大阪市交通局ではOSAKA PiTaPaに(FeliCaポケットの)楽楽ポケットを組み合わせてポイントサービスを実施しています。このように(IC乗車券や決済など)基本サービスと組み合わせて、ポイントやクーポンなど様々なサービスを複合的に組み合わせようとすると、従来の4Kバイトでは足りなくなってくる」(納村氏)

 これまでFeliCaのマルチアプリケーション用途は、主におサイフケータイが担当すると考えられてきた。しかし、FeliCaサービスそのものの数が増え、さらに各事業者のFeliCa活用ニーズが高くなったことで、ユーザーが手軽に使えて普及させやすいFeliCaカードにも、マルチアプリケーションの波が訪れているようだ。

注目は“決済しない”FeliCaの使い方

 FeliCaを使ったアプリケーションというと、IC乗車券や電子マネー/クレジットなど、何かしらかの“決済”を伴うものが一般的だ。納村氏はそういった決済型のFeliCa活用が重要とした上で、今後のFeliCaサービスの広がりではスタンプラリーや会員証といった“決済しない”分野が注目だと話す。

 「例えばソニーでは、宮崎県と協力して『みやざきCHORUCA』という地域経済振興のプロジェクトを行いましたが、これはスタンプラリーやポイントサービスといった決済を伴わないFeliCaサービスでした(3月12日の記事参照)。こういったサービスでは、地方自治体や中小規模の店舗や企業が参加しやすいですし、すでに他分野で普及したFeliCaを使うことで低コストで実現できる。地方自治体の観光振興予算を無駄なく効率的に使って、地域経済振興ができるのです。しかも、FeliCaなら他分野との連携も、やろうと思えばできる」(納村氏)

宮崎スタンプラリー「みやざきCHORUCA」

 FeliCaを使ったポイントやクーポンは、様々な事業者が「決済+α」として取り組んでいるが、その逆の考え方が「決済レス」でのFeliCa活用といえる。ソニーではCHORUCAの経験を生かし、地方でのFeliCaサービス普及にあたっては、地方自治体と共同で「地域活性化につながるようなFeliCa活用を提案していきます。宮崎(CHORUCA)のような案件をどんどん増やしていきたい」(納村氏)。

 さらに、「決済レス」のFeliCa活用は、今後の海外展開においても大きな可能性があるという。

 「決済や公共交通が絡むと、各国の制度や法律面の制約を受けますし、それぞれの国の“誰かのもの”になります。しかし、ポイントやクーポンならば、そういった制約が少ない。実は決済がないと(市場展開が)楽ですし、スピーディに導入できる。

 CHORUCAのような仕組みなら、(例えば)ハワイでもアフリカでも、南米でも、世界中どこでも導入できるんです。日本では鉄道や決済で社会インフラの堅いところからFeliCaを普及させましたが、今後、海外展開を柔軟にやっていくことを考えると、決済レスで展開するシナリオが十分に考えられます」(納村氏)

 FeliCaは香港やシンガポールの公共交通で“堅く”導入されているが、今後の展開ではそれ以外の地域が視野に入ってくる。特に欧米はクレジットカードの文化が根付いており、一方でクルマ社会という面も持つ。そこに攻め入るには、支払いが結びつかない「決済レス」の戦略は可能性がありそうだ。

1997年から稼働している、香港の「オクトパスカード」。公共交通のICカードとしてMTRやフェリーの改札・券売機で利用できるほか、コンビニエンスストア、自動販売機などでも電子マネーとして利用できる

 「海外展開でいえば、(海外で)交通・決済をやるとなると、ISOの標準化をしっかりやっていかなければならない。ここはVISA/MASTERなどと調整しながら、時間をかけて取り組む部分です。

 一方で、CHORUCAのようなポイントやクーポン、アミューズメント施設の電子チケットのような分野は(システムの)パッケージがあれば、ポンと一括して導入できる。また、スタジアムやシネコンへの展開を考えると、ここはソニーの本業と密接に関わるんですよ。こういった場所にはソニーのAV機器が大量に納入されていますから、(ソニーの)販売チャネルが確立されている。そこにFeliCaのソリューションパッケージを展開するのは、ステップとしても楽なんです。ですから海外展開は、必ずしも決済が必須じゃないかなあ、と思っています」(納村氏)

FeliCaのビジネスは「まだ、三分咲き」

 冒頭でも述べたとおり、FeliCaチップの累計出荷数は2億個を超えた。しかしFeliCaの需要はまだ伸びると、納村氏は話す。

 「国内市場だけ見ても、FeliCaチップの需要は引き続き旺盛です。それが顕著に表れたのが、SuicaとPASMOの相互利用開始で、首都圏ではSuicaが2000万枚以上も普及していたにもかかわらず、PASMOカードが足りなくなるくらい(FeliCa ICの)需要があった。しかも、PASMO需要が急増したからSuicaが伸び悩んだかというと、そうではない。PASMOと同時に、Suicaも伸びたんです(4月10日の記事参照)。こういった事が今後、首都圏以外の(IC乗車券システムが本格導入された)公共交通で起きていきます」(納村氏)

 FeliCaを使ったIC乗車券システムは、今のところ人口密度が高く、公共交通利用の多い都市圏で普及している。しかし、公共交通の利用比率が低い東海地方や、その他の地方での私鉄・バスでのIC乗車券採用も着実に広がっている。都市部ほど爆発的ではないにせよ、交通系のFeliCa需要は堅調に存在する。

 決済分野では、様々な電子マネーやFeliCaクレジットが競争をしながら、共用端末で加盟店を開拓。結果的にFeliCaクレジットが利用できる店舗は増えており、“使える場所がない”という問題が解消するのは、もはや時間の問題だ。複数方式のFeliCa決済に対応した加盟店が増えれば、ユーザーの利便性が上がり、カードやおサイフケータイの需要が増加する。FeliCa決済は、“好循環期”に入る直前にあるといえる。

 さらに納村氏は、交通や決済以外のアプリケーションやサービスは、「まだ『未開拓』に等しい」と指摘する。

 「現在のFeliCaビジネスは、花でいえば三分咲きの状態です。チップの出荷数だけでなく、サービスの数や利用率の面でも、まだまだ伸びていく。我々(ソニー)としては、今後ソリューション型の展開でFeliCaの普及を促し、大企業から小さな村のイベントまで、あらゆるところでFeliCaが使われるようにしていきたい。それは実現可能だと考えています」(納村氏)

 FeliCaビジネスはまだ三分咲き――これはソニーにとってだけでなく、FeliCa関連市場全体にとっても言えるだろう。交通や決済のインフラとして普及したFeliCaは、その多用途性や柔軟性、そして、おサイフケータイによる通信連携機能によって、様々な応用サービスやビジネスの可能性を持つ。ユーザーが“慣れる”ことによって、利用率もさらに高くなってくるだろう。FeliCaの可能性がどこまで広がるか。引き続き、注目していきたい。

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