ゴミ屋敷の主たちは、他者の介入を拒絶する強い孤立感を抱いている。それは大量消費社会というモノがあふれる時代に捨てられたゆえの孤独である。その大量消費の時代に、自分の過去が捨てられたので、現在を拾い集めて、生き長らえているのだ。そこに、未来は見えていない。
ゴミ屋敷は、物欲の墓場なのである。ヒトが、暮らしの身の丈をも超えて経済発展を望んだ行く末なのである。
戦後の日本は、経済を発展させてきた。それは、間違いなく国力となり、誇りとなった。しかし、経済の発展は常に矛盾をはらんでいる。人口も減る。生産と消費に抑止が効く。地球温暖化阻止に手を挙げるということは、日本の経済発展を支えてきたガソリン車をゴミの山にすることになる。場当たり的な「現在を拾い集めるような対策」を講じるだけの政治や経済社会では、日本がゴミ屋敷となっていくだけである。孤立する。
ゴミ屋敷をテーマとした小説『巡礼』(新潮社)を書いた橋本治氏が、刊行インタビューで次のように答えている。
「ゴミ屋敷に住んでいる人は、さみしいんだろうな、と私はまず思ったんです。寄り添う人が必要なんだろうなと。ずいぶん昔ですが、有吉佐和子さんの『恍惚の人』が出たころの週刊誌の記事で、若い看護婦の女の子が恍惚の老人にたいしてあたりまえの人として接したら、その老人が人間としてよみがえってくるような記述があった。それが非常に印象的で、ちゃんとした人間として寄り添う人がいれば、そういうこともおこるんだなと思ったんです」
寄り添う人もないままに、物欲を追い続ける果てに……ゴミ屋敷という墓場が待っている。それは、大量消費社会という奇行を生きた私たちすべてがたどり着く可能性がある居場所である。(中村修治)
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