昔の新聞記者といえば取材先に深く食い込み、その世界の“プレイヤー”になる人もいた。例えば政治記者であれば政治家と親しくなり、時には政治を動かしたりしていた。最近はそうしたタイプの記者が少なくなったが、その背景にはどういった要因があるのだろうか。ジャーナリストの烏賀陽弘道さんと窪田順生さんが、この問題について語り合った。
→大手新聞はどんな問題を抱えているのか――給与に“隠微な差”(1)
→なぜ新聞が面白くないのか――それは人事が“残念”だから(4)
→新聞社が縮小すれば、“ジャーナリズム精神”も衰えるのか(5)
烏賀陽:雑誌『AERA』の編集部にいたとき、新聞の論説委員、編集委員、デスククラスが書くコーナーがあったんですよ。僕はそのコーナーの編集をしていて、論説委員様、編集委員様から原稿を頂戴していた。
窪田:“玉稿”ですね(笑)。
烏賀陽:しかし彼らの書く原稿は、本当につまらなかった(涙)。
窪田:ハハハ。
烏賀陽:例えば学芸部の○○様が、気合を入れて書いてくるんですよ。「吉本隆明の再評価がどうした、こうした」と。しかし、そんな原稿を読んでも、全く面白くない。その委員様は「吉本隆明は知の巨人で、最近の動向は大ニュースだ」と強調されるんですが、この情報にお金を支払ってくれる読者はほとんどいないでしょうね。駅の売店で吉本隆明のニュースかガムを買おうか迷ったとき、どっち買います?
窪田:僕だったら、ガムを買いますね(笑)。
烏賀陽:ハハハ。
ブルネイに行けばスルタン(ハサナル・ボルキア国王)の動向が気になるかもしれませんが、日本で生活していればほとんど関係ない。それと同じように論説委員様や編集委員様が「面白い」と感じていることは、一般読者の興味とは関係がない。
窪田:どこそこの山に登ったり、どこそこを視察したり、私たちの生活には関係ないこと。それを一大事のことかのように、書いたりしますもんね。
烏賀陽:はいそうです。します(笑)。
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