『コクリコ坂から』企画・脚本の宮崎駿氏を「監督!」と呼び間違えた話誠 Weekly Access Top10(2011年7月9日〜7月15日)(2/2 ページ)

» 2011年07月21日 08時00分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]
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スタジオジブリの物語

 そんなおわび(?)も兼ねて、筆者は『コクリコ坂から』を公開2日目の7月17日に見に行った。ネタバレになるので詳しい内容には触れないが、筆者が一番気になったのは主人公たちが通う港南学園の経営者である徳丸理事長。脇役でありながら、妙に存在感があるのだ。

 ネーミングや出版社の経営をしていることなどから、徳丸理事長のモデルは恐らく徳間書店初代社長の故・徳間康快氏。実際、徳間氏は徳丸理事長と同様、神奈川県の逗子開成学園の理事長も務めていた。

 徳間氏はスタジオジブリ設立時に出資し、初代社長ともなって作品制作を後方から支援するなど、宮崎駿氏にとっては大恩人。出版社内の描写が妙に詳しく、原作にはない設定のキャラクターを無理やり出してきた感じもあったので、宮崎駿氏の徳間康快氏への思いが伝わってきた。

 徳間氏に送るかのような内容でもある『コクリコ坂から』。実は先ほどの記事の会見があった3月28日、日本テレビの氏家齊一郎会長が亡くなっている。氏家氏も徳間氏と同じく、スタジオジブリの活動をメディアの立場から支援した1人。その一方で『コクリコ坂から』では、新メディアのニコニコ動画を運営するドワンゴの川上量生会長がプロデューサー見習いとして加わっているのが不思議なめぐり合わせであるように思えた。

 『コクリコ坂から』のラストシーン。最近のスタジオジブリ作品では五十音順にスタッフロールが流れるのだが、氏家齊一郎氏の次のページに川上量生氏の名前が載っているのを見て、「スタジオジブリは存在そのものも物語だなあ」と思った次第であった。

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