ソニー、ベイン・アンド・カンパニー、ウォルト・ディズニー・ジャパン、AOLジャパンを経て、1999年に無料ISPを展開するライブドアを創業。2002年にライブドアの民事再生を申し立て、事業をオン・ザ・エッヂに譲渡する。
2004年4月米アップルコンピュータ(当時、現アップル)のマーケティング担当バイスプレジデントに就任。iPod miniの日本国内展開の仕掛け人として大ヒット商品に育てた。2006年7月11日、アップルとアップル日本法人を退職。2007年にリアルディアを創業する。
アップル入社面接で、スティーブ・ジョブズに「日本でMacを売るなら、このような製品が必要だ」と薄型ノートPC「VAIO PCG-X505/SP」をプレゼンし、真っ向から否定されたという逸話を持つ。
アップル日本法人前社長の前刀禎明(さきとうよしあき)氏に引き続き話を聞く。イノベーションの重要性を説く同氏が、日本市場担当のバイスプレジデントに就任した際、まず任されたのが2004年に発売されたiPod miniだった。
当時、国内の音楽プレイヤーはMDプレイヤーが当たり前の時代。PCとの接続が前提となるiPodは受け入れられず、苦戦を強いられていた。日本法人のスタッフでさえ「売れるはずがない」と諦めムードだったこの製品のローンチを、前刀氏はわずか3カ月の準備期間で大ヒットにつなげていく。
――スティーブ・ジョブズのアップル復帰後、1998年にはiMacの成功があったわけですが、当時iPodはそんなに期待できない製品だったのでしょうか?
前刀氏: そのころにはもうiMacの勢いは失われていました。代を重ねて鏡餅のようなモデルになってしまったころです(参照記事)。
何よりも、ソフトウエアデベロッパーがどんどんMacから離れてしまっていた。グラフィックデザイナーですらMacにソフトが対応しないのでWindowsに移っていってしまっていたような時代です。クリエイティブに強いというブランドイメージすら失われつつあった。
――アップル自体が再び自信を失っていた?
前刀氏: そうかもしれません。それに加え音楽プレイヤーは当時MDプレイヤーが全盛でした。バッグに本体を入れておき、リモコンで操作するのが当たり前のスタイルです。
第二世代iPodも実は申し訳程度にリモコンを備えていたのですが、日本メーカーが出すような液晶付きの高機能なものに比べると差は歴然としていました。しかも音楽を取り込むにはPC接続が必須となる。つまり世の中のパーセプション(認識)は「オタク向け」だったんです(笑)。
社内の連中が「売れない」と思うものが売れるはずがありません。そこで僕は意識改革から取り組みました。iPod miniに搭載されたユーザーインタフェース「クリックホイール」が優れていて、本体を持って聴く新しいスタイルをつくるのだと説明し、徐々に共感する人を増やしていったのです。
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