2011年3月11日に起きたマグニチュード9.0の東日本大震災。それが引き起こした巨大津波、そして福島第一原発の事故……。首都圏にまで広がった放射性物質に対し、新聞、テレビ、雑誌、Webサイトなどが報道合戦を繰り広げ、分かったことがひとつだけある。それは「よく分からなかった」ことだ。
原発事故は「戦後最大のクライシス」といってもいい状況だったのに、新聞を読んでも、テレビを見ても、「避難したほうがいいのかどうか、分からなかった」という人も多かったはずだ。3.11報道のどこに問題があったのか。その原因は報道機関という組織なのか、それとも記者の能力なのか。
大震災と原発報道の問題点を探るために、ジャーナリストとして活躍する烏賀陽弘道氏と、作家でありながら被災地に何度も足を運ぶ相場英雄氏に語り合ってもらった。この対談は、全6回でお送りする。
――新聞でもっと震災ルポを掲載してもいいと思うのですが。
烏賀陽:地元の雇用はどうなる? 企業が少なくて、結局は東電依存になる……というような話を、書くとなるとデイリーベースの話じゃないですよね。新聞やテレビのニュースというのは「デイリー」(日刊)という発行媒体の性格にしばられます。「1日」を超える長期的な話に対応できないんですよ。
新聞であれば「昨日の夜12時の締め切り時間から、今日の締め切り時間までに起こったことじゃないよね?」と言われるんですよ。新聞は24時間、あるいは朝刊・夕刊の12時間の間に起きたことが優先される。それを載せたら、「ごめん。今日の朝刊はもう埋まっちゃった〜」とデスクに軽く言われるわけです。そこで、「じゃあ、東電依存の福島のルポ書いておきますから、使ってください」と言うと、半年くらい放っておかれたりする。こうしたことは日常茶飯事。
記者の方も「長期的な大きな構造を扱ったルポはどうせ載らないんだから」と学習してしまう。そして「であればデイリーで起きたことを書くか」となってしまうんですよ。
相場:朝日新聞に掲載された『南三陸日記』(※)は特殊なケースだったんですか?
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