オーディオブック普及を狙う「朗読少女」――オトバンクの堅実戦略それゆけ!カナモリさん(1/3 ページ)

» 2013年07月30日 08時00分 公開
[金森努,GLOBIS.JP]

それゆけ! カナモリさんとは?

 グロービスで受講生に愛のムチをふるうマーケティング講師、金森努氏が森羅万象を切るコラム。街歩きや膨大な数の雑誌、書籍などから発掘したニュースを、経営理論と豊富な引き出しでひも解き、人情と感性で味付けする。そんな“金森ワールド”をご堪能下さい。

※本記事は、GLOBIS.JPにおいて、2013年6月25日に掲載されたものです。金森氏の最新の記事はGLOBIS.JPで読むことができます。


朗読少女 朗読少女

 制服を着た女子高生のキャラクターが名作文学などを朗読してくれるiPhoneアプリ「朗読少女」(参照リンク)。これまでに100万ダウンロード突破を記録した人気アプリである。運営しているのはオトバンク。25名の社員が在席するベンチャー企業だ。

 しかし、オトバンクはアプリ制作の会社ではない。その掲げる企業理念は「『聞き入る文化』の創造」「究極のバリアフリーの達成」「出版業界の新興」。本や講演会を音声化した「オーディオブック」の配信サービス「FeBe(フィービー)」を事業の中心に据え、8000を越えるコンテンツを保有。8万5000名超の顧客基盤を持ち(2013年3月)、今も精力的に市場開拓を進めている。その戦略を代表取締役社長・久保田裕也氏に聞いた。

「やめておいた方がいい」と言われて……

 オトバンクは、視覚障害者を対象とした本の対面朗読をするNPOとして着想された。

 オーディオブックは世界では1100億円以上の市場が存在するといわれ、米・英・仏・独などの先進国においては紙の本ほどではないにせよ、一定以上の認知を得て慣れ親しまれている。しかしオトバンクの始動時、日本においては「ありそうでない市場だった」と久保田社長はいう。語学系の音声サービスは当時から数多くあったが、オーディオブックは根付いていなかった。

 そこに株式会社化のきっかけがあった。「目の不自由な方々だけを対象とすると、どうしても売れる数、即ち作れる数も限られる。たくさんの本を音声化するには、それ以外の人々のニーズも呼び込まなければ真の意味での“アクセシビリティの最大化”は見込めない」(久保田社長)。オーディオブックが当たり前に制作され流通する市場を作らなくては、特定のチャネル、例えば図書館で貸し出し用に提供されるような少人数向けのものにしかならず、社会に大きな貢献ができない。創業メンバーは、そう考えたのだ。

 しかしゼロからのスタート。無論、順調には行かなかった。出版社に事業化の相談に行くたび、にべもなく「やめた方がいい」といわれる。作家に直接、音声化を持ちかけようにも知己がない。「日本では成功した事例はないし、米国でうまくいっているのは国土が広く、車社会だから、移動時間に聴くというニーズがあるためだ。それをそのまま日本にあてはめても、うまくいくわけがない」というのが大方の意見だった。

 しかし創業者の上田氏が粘り強く、しつこくヒアリングを重ねるうちに、「出版社の本音が見えてきた」と、久保田社長は説明する。根底にあるものは、ユーザーの取り合い、あるいは粗悪な音声コンテンツにより本のほうの価値も減損するといった、権利の二次利用にかかわる警戒感だとやがて気付いたのである。

 そこで「まずは出版社や作家からの信頼を得ることに徹した」(久保田社長)。この一環で行われたのが2006年1月の「新刊JP」という本のPRサイト立ち上げだ。新刊JPは出版社が刊行した本を無料で紹介するサイトで、月間1700万PV(2012年5月)を誇るまでに成長している。

 「無料ですので、御社の本を紹介させてください」と、出版社に足繁く通って掲載許可を求める日々。そして1年ほどして、次第に新刊JPで紹介した本の中から特に売れるものが出てきた。出版社が特にプロモーションをしたわけでもないのに売れる。「なぜか?」と営業担当や編集担当が調べ、それが、新刊JPの貢献であると理解されるようになるに従って、出版各社とオトバンクとの関係が徐々に良好になってきた。

 「新刊JPの運営により、出版社の方々に自分たちが本を作る作家や編集者の気持ちを大切にする存在であること、決して競合する存在ではないことを分かってもらえた」(久保田社長)。結果、ボトルネックとなっていた権利処理が一つ、また一つと進むようになった。そして2007年1月、心ある出版社や作家の協力を得て、ドラッカーの経営論など数冊からオーディオブック配信サービスのFeBeが立ち上がったのである。

 しかし、FeBeが立ち上がって間もない2007年前半に、早くも競合が登場した。世間ではネットワーク環境の向上、モバイル化が進行しており、これに足並みをそろえるようにしてオーディオブックの会社が10社ほど設立されたのだ。その出資母体には大手印刷会社や音楽配信会社などもあった。しかし、「焦りはなかった」と久保田社長はいう。なぜならば「権利関係をクリアできなければ大規模な展開はできないはず」と考えたからだ。

 久保田社長によれば、オーディオブックの市場におけるKSF(Key Success Factor)は「作家や出版社が大切にしているコンテンツを、自分たちも大切にしているのが伝わること」だという。「一見すると複雑にも思える市場かもしれないが、バリューチェーンで考えれば、著作権・版権処理→制作(音声化)→取次・販売、という、たった3段階で実にシンプルな構造になっている」(久保田社長)。音声化について、オトバンクでは創業当初、“日銭”の獲得も兼ね、他社のeラーニングコンテンツの音声データ作成などを受注し、コストカットや品質向上のノウハウを徹底的に蓄積してきた。だから、技術面でも十分な自信はある。しかし、業界への参入障壁を築いているのは圧倒的にその手前の段階、権利許諾の部分という。

 そのとおり、その後10社の競合はことごとく撤退をしていった。

 「この事業においては悩むべきところは、いかに売上を上げるかではなく、別のところにある」と、久保田社長。その言葉どおり、オトバンクは彼らが業界内のDMU(Decision Making Unit)を明確に理解していたから生き残った。彼らは、自分たちの顧客がエンドユーザーだけではなく、コンテンツの作り手=出版社の編集者や作家でもあることを強力に意識しており、これが差異となったのである。

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