だから中日監督時代は初期のころ、かつての恩師のようにベンチ裏で容赦(ようしゃ)なく鉄拳を振るいながら、チームに規律を求めた。当時を知る関係者からは「星野さんから『監督室に来い』と呼び出された選手は、顔の形が変わっていた」なんていう逸話もよく聞く。
だが、実際に鉄拳を食らった経験を持つ元中日選手はこう言う。「星野さんは厳しい“お灸”を据えた選手には、必ず翌日いの一番に声をかける。『お前、頑張れ! 今日は期待しとるからな』とポンと肩を叩かれるとすごくうれしくなって『やってやる』という気持ちになれた」
とはいえ、そんな星野監督も昔に比べれば丸くなったのは事実だ。2002年から2年間指揮を執った阪神時代を経て2007年1月、翌年夏に開催を控えた北京五輪の野球日本代表監督に就任。「金メダルしかいらない!」と強気な発言をしたにも関わらず本戦で4位惨敗に終わって世間から糾弾(きゅうだん)されたことも「口よりもまず先に手が出る」とまで恐れられた鉄拳操作術を封印させるきっかけになったのかもしれない。
星野監督に近い関係者は、こう言う。「この北京五輪のとき、代表チームで星野さんが昔から知っていた中堅クラスの某選手を裏でガツンとやったことがあった。そうしたら、一部の若手選手が一気にドン引き。阪神監督から現場復帰まで4年間のブランクがあった星野さんは、ここで『今の若い人たちは、こういうものなのか』と知った。星野さんが楽天で成功をおさめたのは、北京での失敗が大きく生かされている」
闘将と呼ばれることは昔と同じであっても今の星野監督から鉄拳制裁という言葉は、もう完全に聞こえてこなくなった。しかし闘将は2013年の春季キャンプ中、チームの担当記者たちを前に体罰問題が論争を呼ぶようになった昨今の世について「これはオレの考えだが」と前置きしながら次のような持論を述べている。
「教え子の選手が自殺を選ぶほどの体罰をしたら、その指導者は失格。それは、もう絶対にダメですよ。ただね……。いろいろ世間は『体罰だ!』と言うけど、選手なんかは指導者から言われるうちが花。このままだと、何があっても『関係ありません』の一言で済ませようとする事なかれ主義の指導者がどんどん増えていってしまう。そこは心配だね」
もちろん賛否両論あるだろう。それでもこれまで多くの名選手を育成し、球界に大きな功績を残した闘将の言葉にはやはり重みと説得力がある。
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