企業の評価システムのコンセプトを考える仕事に取り組んでいるプロセスの中で、上司と部下、双方の不平不満を耳にする機会がよくあります。その中でとても興味深い現象に出会いました。
「最近は、手取り足取り教えなければならない部下が増えて困っています。細かく指導をしても、なお足りないらしくて、時間をきちんと取ってほしい、自分のことをしっかり見てほしいというのです」とは上司の弁。
一方で「上司は自分のことを見ていないのがよく分かります。仕事は教えてもらっているのですが、それは日々のこと。このままでは、もっと大切なことを見落としてしまいそうで怖いと感じています」と部下の声。
似たような話を何度も耳にしましたから、上司と部下の間では「あるある」の話なのでしょう。しかもこの「ボタンを掛け違えている状態」は、職場でずっと繰り返されている様子。今日は、そんな当たり前だけれども、見逃されがちな話を少しだけ。
まず、この話の厄介なところは、誰も悪くないということです。例えば、部下が一切仕事をしないとか、勤務態度が不良だとか、そういうことなら話は簡単です。しかし、こういうエピソードに登場する部下は、仕事ぶりも悪くないことがほとんど。与えられた仕事に熱心に取り組み、さらにもっとできることはないか、成長するための経験が得られないかと、日々頑張っています。
一方で、上司も部下の育成を怠っているというわけではありません。日々の仕事ぶりを丁寧に確認し、そのたびに細かく指導をしています。うるさがられる(イマドキの言葉遣いだと「ウザい」でしょうか)くらいのコミュニケーションをとって、部下に気を配っています。仕事をさせるというだけでなく、チームとして機能するように配慮しているタイプです。
しかし、どうもしっくりこないのです。お互いの認識にズレはありません。部下は、上司のことを「仕事を丁寧に教えてくれるけれども、自分のことをキチンと見てくれてはいない」と評価している。上司は、部下の仕事ぶりは認めているけれども、もっと自分のことを見てほしいといわれて、「日々の仕事を手取り足取り教えているのに、これ以上なにを見ればいいのか」と戸惑っている。
ここまで読んできて、そのズレにピンときたという人もいるでしょう。そう、原因は「してほしいこと」と「していること」の差なのです。
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