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社長夫人が見てきた「はてな」連載:変な会社で働く変な人(1)(2/3 ページ)

» 2005年08月17日 11時08分 公開
[岡田有花,ITmedia]

「儲かるはずがない」

 ユーザーがお金を払って他のユーザーに質問し、回答してもらう。質問者の支払う金額のうち20円が、会社に入る――そんなビジネスモデルは、令子さんには夢物語に見えた。1日に100問の質問があっても、2000円にしかならない。「儲かるはずがない」

 それでも、淳也さんを信じようと思った。勤めていた会社が傾き、フリーになった経歴を持つ令子さん。会社員生活がすべてじゃないと知っていた。淳也さんの強い意志に賭けた。

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 2000年11月、淳也さんはカメラマンを辞め、プログラミングの勉強を始める。なけなしの資金でソーテックのデスクトップとIBMのThinkPadを購入。京都のITベンチャーに押しかけてプログラミングを教わり、ベンチャーキャピタルに日参して出資を募り、冷たくあしらわれながら銀行に通った。「最初の苦労は自分でしたい」――淳也さんは、起業に関わるすべてを1人でやりとげた。

 令子さんは家計を支えた。自転車ライターだけでは生活費が足りず、新聞でも雑誌でも、どんな仕事も引き受けた。淳也さんを助けてくれる仲間をもてなすのも令子さんの役割。得意の料理をふるまい、家に泊まってもらうことが、お金のない2人からの、せめてものお礼だった。

 あわただしい生活の中、2人は結婚した。起業2カ月前の結婚は、「仕事のしがらみに関係なく、祝福してくれる人だけに集まってほしい」との思いから。京都で開かれた自転車レース終了後、手作りの結婚パーティーを開催した。文化会館の椅子とテーブルを借り、料理も音楽もドレスも花も2人で調達した。「オフ会みたいな結婚式でした」

 新婚気分に浸る暇もなく、迫る起業を前に令子さんは迷っていた。「はてなで一緒に仕事すべきだろうか」――自己主張が強く、ケンカの絶えない2人。24時間一緒にいられるか悩んだ。PCは鳥肌が立つほど嫌い。役に立てると思えなかった。

 「夫婦ですべてを共有したい」――そう言う淳也さんに押され、はてなで働くことにした。不安な出発だった。

鳴かず飛ばず

 2001年7月15日、有限会社はてな設立。2メートル四方の小さな小さなオフィスと2台のPC、社長夫婦。それですべてだった。

photo 人力検索サイト「はてな」は、ユーザーが質問し、ユーザーが答えるサイト。答えてくれたユーザーとはてなにポイントを支払う

 4日後の7月19日、「人力検索サイトはてな」がオープン。サイトを盛り上げようと、スタッフ総出――といっても夫婦と、協力してくれる学生数人――で質問や回答を登録した。質問が入ると携帯電話が鳴るようにし、24時間体制で回答を検索。しかし、1日に登録される質問は、10もなかった。

 広報担当だった令子さんは、メディアに手当たり次第メールを送った。日本経済新聞と京都新聞に載ったが、ユーザーはほとんど増えなかった。「鳴かず飛ばずでした」

 ギリギリの運営の中、令子さんは「受託開発で稼ぐべき」と何度も淳也さんに訴えた。彼は首を縦に振らなかった。「独自のサービスでやっていかないと、会社を設立した意味がないと言い続けていました」

 スタッフは8月から1人増えて3人に。全員無給で働いたが、資金は減る一方。資本金の300万円は、秋が終わるころには20万円になっていた。

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