米GoogleによるYouTube買収のニュースを聞いて、わたしは「無限性」という概念に改めて感銘を覚えている。このニュースは、どれだけ賢明な人間でも“金はあっても考えが足りない”行動を起こしかねない、ということを証明しているからだ。
金はないが暇ならたくさんある、ということを自ら証明しているような、世界で最も無頓着なメディア消費者らの注目を集めたいのであれば、YouTubeのような方法もありだろう。
世の中には、言葉を効果的に使ってコミュニケーションを図っている人などあまりいないということは、既に多数のブログが証明している。そして今度はYouTubeだ。YouTubeでは、優れた映画を作るのは難しいが、盗むのは簡単だ、ということが証明されている。
YouTubeはまさに、大勢の視聴者の中から、わざわざくずのような視聴者をすくい取るよう設計されている。どんなに多忙な人でも、何か有益な情報が提供されていないかを確認するために、ブログを見てみることはあるだろう。そして、そうした人たちは、そのブログが何か目新しいことを興味深い方法で教えてくれているかどうかを数秒で判断し、何もなければすぐに仕事に戻るだろう。
だが、3分間のビデオを見るには、丸々3分間を要する。そして、おそらく、途中でビデオを止めるのは難しいだろう。となれば、最も歓心を買いたいはずのユーザー層はおそらく、YouTubeのようなサイトを避けるようになるだろう。なぜなら、彼らにはそれほど暇な時間はないからだ。
一方、あえてビデオサイトにアクセスするような人たちは、動画の横に表示される広告などには目もくれない。なぜなら、人間の脳は生来、動いているものに注目するようにできているからだ。たとえ動画の中に広告が挿入されたとしても、人間の脳は「そのとき面白いと思っていることと無関係な物事」については、驚くほど上手に無視できるようになっている。
確かに、YouTubeはブランドとして確立している。そして、ブランドには価値がある。現在のように、世界中の才能がネットワークで接続され、資金が循環しているような環境において、ブランド認知度は、新興のライバル企業ではそう簡単に太刀打ちできない数少ない資産の1つだ。
商標の価値は、ポップカルチャーにおいて幾度となく参照されることで高まるものだ。ちょうど、ポール・サイモンが「僕はNikonのカメラをもってるんだ」と歌ってみたり、トヨタがMTVの「I want my MTV」というキャッチフレーズを真似て、「I want my MPG」という新しいキャッチコピーを作り出したときのようにだ。
だが、ブランド名は墓碑銘として記憶される場合もある。例えば、Fordの失敗作「エドセル」になぞらえ、実際にはエドセルの写真すら見たことがないにもかかわらず、何かの失敗について語るときに「エドセル」の名を引き合いに出す人がいかに多いことか。
そして、実際のところ、YouTubeブランドに本当に16億ドルもの価値があるのかという疑問に対し、しっかりと反論できる人はいるのだろうか? 現実を見ても、非オンラインの世界で実際に製品を提供し、利益を上げているLevi'sやStarbucksといった世界的に有名なブランドでさえ、その資産価値はその半分にも満たないのが実情だ。
わたしは、Webを基盤とする革新によって、世の中の物事に対するわれわれの意識が変革される可能性を否定するつもりはない。
実際、Amazon.comは書籍販売のノウハウをオンライン店舗の経営に活かし、書籍以外の多くの分野で市場効率性の改善を果たしている。
eBayのオークションモデルや委託販売モデルも、既に当初のペッツコレクター向けの販売の域を脱している。わたしは、自分は物事に価値があるかどうかを見分けられると自負している。だが今のところ、YouTubeの価値がどこにあるのかは全く理解できないでいる。
Editorial items that were originally published in the U.S. Edition of “eWEEK” are the copyrighted property of Ziff Davis Enterprise Inc. Copyright (c) 2011. All Rights Reserved.
Special
PR