*による注のうち、出席者のプロフィールは当日報道向けに配布された資料を転記した。
坂田文彦さん(ガタケット事務局) 第1部でわれわれ同人誌即売会と出版・印刷業界、同人誌書店がどうわいせつ問題に取り組んでいるのか、18歳未満に対する販売に対してどうゾーニングを設けているのかということを語っていただきました。
しかしわれわれの世界は、コミケットがスタートして30年以上がたっていますが、いまだアンダーグラウンド的な印象があり、そこに警察庁「バーチャル社会のもたらす弊害から子供を守る研究会」(以下「研究会」)の議題に上った経緯もある。第2部では漫画に詳しい有識者の方にお集まりいただきまして、、今後われわれはどうすべきなのか、表現規制の動きに対してどういう風に向き合っていくのかを議論していきたいと思います。
まず永山さん、われわれなりの自主規制を個別に行ってはいるんですが、一歩引いたところでごらんになって、どんな印象を受けていらっしゃいますか。
永山薫さん*1(マンガ評論家) 第1部をずっと聞いていて、なんだ、いろいろ何重にもフィルターをかけて頑張っているじゃないか、というのが正直なところです。この手の話というのは少しずつ知ってはいたりするんですけれども、足並みがそろっているかどうかは分からないけれども、効果的な修正なりゾーニングなりがなされていることを、これまで外に向けてほとんどアピールしてこなかったっというのが一番大きい問題だと思うんですね。
僕が中心に見てるエロマンガ、いわゆる成年向けのコミックもそうですし、ボーイズラブとか、商業、同人を問わずですね、そういうジャンルのものは外からはほとんど見えない、非常にアングラな訳の分からないものとして見えている。けれどもそこにはすごく豊かな土壌があって、大げさにいうと実は日本文化、日本経済にどれだけの貢献をなしているか。コミケの歴史があって始めてこれだけ日本の文化の隆盛があると僕は思っているんですけれども、そういう評価が全然されない。
評価がされないのはなぜかというと、コミケ関係者にしても他の即売会関係者にしても、文化を担ってるという意識はあるんだろうけれど、それを外に出していくという努力があまりにも少なすぎたんじゃないかと僕は思っています。
今回のようなことをきっかけに、少しずつ表に向かって開かれていけばまた変わってくる。「コミケとかそういうものは全部野放しじゃないか、けしからん」と思ってる人に対しても、いやそうじゃないですよ、ちゃんとわれわれは考えてやってるし、こういう風に日本の文化にも貢献しているし、もっと端的に言えば、何億円何兆円はわしらが儲けてまっせ、と言えるようになると、向こうも話の仕方が変わってくると思うんですよね。野放しじゃないかと言ってた人たちが、ああなるほどそういう方法で自分たちで自立してやってるんだなと。だけど外から見てたらこうだから、こうしたほうがいいんじゃないかっていう提言に変わってくると思うんですよ。
それは理想論かもしれないけれど、そういうことを一歩一歩やっていく。いたずらに対決姿勢を高め、お互いにけしからん、許せないって言ってるだけでは何もいいことが起きないと、僕は思っています。
坂田 1991年に同人誌に関わる大きな事件がありまして、それを境に非常に厳しい自主規制をかけています。即売会はあくまでアマチュアの個別の団体ですので、個々に基準が違ったりはしますが、非常に長い歴史の中で培ってきたものがあります。伊藤さん、永山さんの意見を受けて、お話いただけますか。
伊藤剛さん*2(マンガ評論家/武蔵野美術大学芸術文化学科講師) いま永山さんから、いたずらに対決姿勢をとっても誰の何の利益にもならないという話がありましたけれども、僕も第1部を聞き、印刷会社、書店を含めて非常にきめ細かく対応していることを、具体的には初めて知りました。同人をやってる友達もいますので、商業誌よりコミケのほうが厳しいという話は伝え聞いてはいたんですけど、そういったことをこういう会合をもってアピールすることの意味というか、議論の大枠について少し整理したいと思います。
これには2つの意味があると思います。1つは対外的な部分ですね。きょう何社か取材が入ってますけれども、社会や世間に向けて、われわれはこのような存在であり、このような取り組みをしてますということを見せるという部分。
もう1つは対内的な部分ですね。先ほどイベントの主催者の方から、どちらかというとサークルさんに向けて発せられる言葉が結構あったと思います。これまで同人誌即売会や同人誌文化というのは、いわゆる世間や社会の価値判断といったものの外で、中が見えないところでやっているという自意識というのはあったかもしれないわけです。物陰でこっそりやっているという意識っていうのは、全員ではもちろんないですが、過去にもってた人はいる。あるいはそういった幻想というか、夢を見たいというのもあったかもしれません。
しかし冷静に考えれば分かることなんですが、われわれも世間や社会の一員であるわけです。われわれが世間や社会を構築している要素でもある。今回の「研究会」に関わっている人々もやはり世間や社会の一部なわけですね。だから、そこでいたずらに糾弾したり、罵倒したりしてもしょうがないわけです。これは説得する相手であり、対話をする相手であると。
公の、規制をしたいという人々の発言の中に同人誌がはっきりと出たということがきょうの大枠であることは確認しておこうと思います。そこで、規制はなぜ起こるのか、規制したい人はどうして出てくるのかというところまで踏み込んで考える必要があるのではないかと。
それは、子どもに悪い影響がある、読者がまねをする──といった割と単純な人間観に基づいていて、要は愚かな人々は影響されて悪いことをすると、だから取り締まらなければいけないと、そういうロジックですが、その背後には、自分たちが見たくないものを社会から排除したいという欲望がひょっとしたら隠れているのではないか。糾弾しているように聞こえるかもしれませが、しかし規制したいという人もそういったことを自覚はしていただきたい。
そしてわれわれにもマナーや良識は当然求めれています。第1部で出てきた、非常に繊細な「塗り」や「消し」とかも、やはり良識とかマナーの部分で歯止めとしてかけているものなんです。であれば、規制を進めたいという人にも良識やマナーというものが当然あっていいはずです。
「研究会」報告書は、最初は威勢がいいんですが、だんだん後退してきて、法規制には直接いかないと。これはやはりこちらの方にもマナーや理性というものがある結果だと言っていいのではないかと思います。
大枠を確認するということと、いたずらに敵対するという姿勢では事はうまく進まない、ということを強調しておきます。
*1 永山薫(マンガ評論家) 編集者、作家としても活躍。マンガ評論家としてはマンガにおけるエロティシズム表現とセクシュアリティを長年にわたって考察。昨年、成年マンガの歴史とジャンル的広がりを概括する『エロマンガ・スタディーズ 「快楽装置」としての漫画入門』(イースト・プレス)を刊行。
*2 伊藤剛(マンガ評論家/武蔵野美術大学芸術文化学科講師) 著書に『テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ』(NTT出版)、共著に『網状言論F改』(東浩紀編・青土社)。桑沢デザイン研究所など複数の専門学校、大学でマンガ実作の指導にも当たる。
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