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(3)「貧しい漫画」が向き合ってきた自由と責任と同人誌と表現を考えるシンポジウム(4/4 ページ)

» 2007年05月28日 09時35分 公開
[小林伸也,ITmedia]
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坂田 児ポ法が制定された時に、小説や漫画などについては該当しないいうことで落ち着きました。それは表現の自由に基づいた非常に冷静な判断でした。「研究会」でも、これを法令化するのは表現の自由に基づき問題があるのでは、という意見もちゃんと出ている。

 これは青少年健全育成条例などに定められている部分ですが、18歳未満に見せてはいけないと。これは割と最近できた条例で、僕らが若いころはそういった法律もなく、その時の情景として普通に自動販売機で売られているくらいおおらかな時代だったんですね。それがいまどんどんゾーニングされている。18歳未満に有害な影響があるという考え方からゾーニングされているように見受けられますが、心理学の見地からは斎藤先生、いかがなものでしょうか。

photo 斎藤さん

斎藤環さん*9(精神科医) この問題とのかかわりは、松文館裁判での意見陳述と、東京都の青少年問題検討委員会で、条例でわいせつコミックのコンビニ販売でカバーをするかしないかみたいな議論でいろいろ意見を戦わせたという経緯からです。

 精神医学で知見の蓄積があるかと言えば、全然ない。メディア論でも、思想や信条がメディアでどう伝達されるかという議論はありますが、性的なものについてはほとんど研究がないというのが現実です。だからよくクラッパーの限定効果説*10というのが引用されますけれども、政治的な主張や思想信条などがメディアを介してどう伝達されるかということに関する説を、暴力的表現やわいせつ表現にも応用がきくのではないかという、やや強引な面があります。

 ただこの点に関してははっきりと、例えばわいせつ表現がわいせつな行動を促進したり、あるいは暴力表現が暴力的な行動を助長したりといった根拠はなきに等しいというのが現状と言っていいと思います。メディア論の傾向でも、表現が非常に有害であるという根拠がまったく新しく提出される見込みはほぼないと言っていい状況だと思います。

 松文館裁判で思い出すのは、その時の判決文の中だったと思うんですけれども、青少年の強制わいせつ事件の件数に触れた下りがあるんですね。昭和49年(1974年)の段階では年間2000件あったと。それがだんだん時代が下ってくると、だいたい4分の1くらいの水準で推移している。微妙な増減はありますが、激増したり激減したりはしていない。

 これは殺人を含めた凶悪犯罪とほぼ一緒で、だいたいこういったもののピークは昭和35年と、まあ、今の団塊の世代の方々が思春期だったころにピークがあるんですけれどもね、この世代はずーっと凶暴な世代なんですけれども、それは置いといて(会場笑い)、その後どんどん、そういう傾向は減少している。

 ゾーニングといっても、今は子どもであってもネットでいくらでもわいせつ画像が見られる状況で、最もアクセシビリティが高い時代になってしまっている。主にネットの普及によって、昔は隠れてこっそり見るようなものが、簡単に見ることができてしまう。そういう状況がにもかかわらず、犯罪件数が減少しているという点からだけでも明らかだと思います。

 判決文は妙なことに、その後にですね、「しかしながら年齢を限らない性犯罪は増えていると、だからいかん」みたいな、ちょっとアクロバティックな論理展開(会場笑い)になってしまっていて、ちょっとこれはどうしたものかなと、だったら少年の例を出さなければいいのになと思ったんですけれども。

 松文館裁判の時に、裁判所に同人誌をいろいろ持っていって、ショタがどうしたとかいろいろ解説しました。例えばやおいとかボーイズラブというジャンル、これは女性が読む、男性同士の恋愛ストーリーですが、これが果たして、女性読者に対してどのような行為を促進するのかと、そこに尽きてると思うんですよ(会場笑い)。そういうものを見た女性がむらむらして何をするのだろうかと。

 定説がないので珍説を展開しますけれど、同人文化に限らずオタクの萌えカルチャーみたいなのがあるとして、わたしの考えでは、バーチャル空間の中に、ほぼ独立した性的欲望のエコノミー、そこで自立してしまっている、自足してしまっている、そういうものがかなり完璧に成立しつつある。そのことのほうがひょっとしたら、問題といっていいかのわかりませんが、特異な現象かもしれない。

 臨床で若い患者さんをたくさん見ています。オタクカルチャーや深夜アニメとかいろいろ見ている人がいて、中には同人文化に親しんでいる方もいるでしょうけれども、もちろん彼らの中に性犯罪に走った人はいない。むしろ、ちらほらといるのは「俺はもう2次元だけでいい」と(会場笑い)。本田透さん*11のようなことを言う方がちらほらと増えつつあるかなと。これはこれでゆゆしき事態ではないかと(会場笑い)。

 つまり同人誌文化があまりにも洗練されて、完璧な、自立した性的欲望のエコノミー空間ができあがってしまったので、そちらの住民になってしまうとですね、リアルワールドの行動が抑止されてしまう可能性──いやこれは冗談ではなく、わたしは本気でそういう可能性を考えているところがあります。

 バーチャル空間云々という議論でナイーブすぎるかなと思うのは、結局ネットカルチャーがこれだけ発展して、ネットの中でものすごく盛り上がったりはやったりしたものも、現実の世界ではまったく知られていなかったりして、この辺のギャップがどんどん広がっている感じがあります。

 バーチャル空間はそういう風に自ずと隔離されていく性質を持っていて、現実に対して直接の影響を及ぼす可能性はほぼ否定された、と考えていい。でなければ、特にメディア論で言われていることですが、その人が持っている先行的な素因であるとか、傾向であるとか、こういったものを強化・補足する形での影響ならあるかもしれません。ただ幸いなことに、それが性犯罪に直接的に結びついている根拠はない、と言って構わないと思うんですね。

 精神医学ではありませんが、精神分析学者のラカンの影響を受けたジジェク*12は、「結局はセックスもマスターベーションの変形である」という言い方をしていて、セックスはマスターベーションよりずっと純度が低い、そういう意味では異端の行為だと。だから純粋にマスターベーションファンタジーを追求できる空間があれば、人間は満足するものであるという可能性がこの言葉には秘められていると思います。規制の問題を考える前に、人間のセクシャリティの性質をそういった視点から見直す必要があるんじゃないかと思います。

 少なくとも、メディアが青少年の問題行動をそそのかすから云々──という議論はほぼ成立しない。もちろんわたしも、だから何でもありだとはまったく思いませんし、そういう意味ではゾーニングの必要性も感じています。ですが規制や法律などに価値判断や倫理的判断を持ち込むのはやはりおかしいと言わざるをえない。むしろそれは、場合によっては相反するかもしれない問題系です。倫理的なものを追求するなら、表現を含めて自由を確保した空間の中でしかその自由は可能にならないという点からも、同人文化のすそ野の広がりを不当な形で規制するならむしろその倫理的な判断の衰弱につながる可能性すらあると思います。

(つづく)


*9 斎藤環(精神科医) 爽風会佐々木病院・診察部長。専門は思春期・青春期の精神病理学、病跡学、ラカンの精神分析、「ひきこもり」問題の治療・支援ならびに啓蒙活動。マンガその他のサブカルチャーにも造詣が深い。『先頭美少女の精神分析』(ちくま文庫)、『社会的ひきこもり〜終わらない思春期〜』(PHP出版)など著書多数。

*10 「マスメディア限定効果説」(はてなキーワード)。「マスメディアは人々にごく限定的な影響しか与えていない」とする。

*11 本田透(Wikipedia) 「電波男」などで知られる。

*10 スラヴォイ・ジジェク(Wikipedia)。スロベニアの思想家。ジャック・ラカン派の精神分析に基づき映画など多彩なテーマを論じた。

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