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瀬名秀明に聞く「仮想世界」「ケータイ小説」「初音ミク」(2/3 ページ)

» 2008年03月31日 08時45分 公開
[岡田有花,ITmedia]

 メディアによって、読まれ方によって、書き方は変わる。ハードカバー単行本なら、そのサイズで読みやすいフォントや文字の級数、書き方を選ぶ。

 「環境や時代に合わせて小説は変化するもの。チャールズ・ディケンズが今の時代に生まれていれば、まったく違う書き方をしたと思う。ストーリーは変わらないかもしれないけれど、書き方はどんどん変わる」

 瀬名さんは小さなデバイスが苦手で、ケータイ小説は読んだことがない。だがケータイ小説は否定しない。「改行が多い」「泣けるストーリーが多い」など人から聞いた話しから、こんなふうに想像する。「1行ごとに改行するのも、そこでの読みやすさを追求している技術だろう」

メディアによって表現は変わる

 メディアによって、共感(シンパシー)と感情移入(エンパシー)の「単位」も変わってくる。ハードカバー単行本なら、感情の起伏を見開き2ページに収める。新聞連載なら1回分・原稿用紙2〜3枚に、週刊誌連載なら15〜6枚の中に山場を作る。

画像 人気のケータイ小説「恋空」は書籍化され、ベストセラーに

 携帯電話の場合はおそらく、200〜300文字が限界の1画面上に、感情の起伏を描き、山場を作らなくてはならない。複雑な感情を描くには、文字数が足りない。

 「200字や300字しかないなら、一瞬で何かを感じさせないとダメなのでは。『こうしたらこうなる』というセオリーに則った感情表現でないと、読者の人が付いて来られないのではないか。ケータイ小説で表現できるのは、喜怒哀楽のような単純な感情を表現するのに向いたメディアだと思う」

 「泣けるケータイ小説は、読めばきっと泣けると思うが、それは同じ境遇で悲しみを共感しあう、いわば動物的な本能。カタルシスとしては有効だが、複雑な感情を表現し、主人公に感情移入したり、『こういう人生もありだよね』と思わせたりというのは多分、難しい」

 主人公を相対化するという複雑な作業も“紙幅”が許さない。主人公を読者と同世代に設定し、同一化して読んでもらうしかないのでは、と瀬名さんは言う。「この人は私とは違うけどこういう生き方もあるよね、というのは多分、表現しにくい。これはケータイ小説の課題だろう」

「小説」「ロボット」「SF」――“純化”していく言葉

 「ケータイ小説は小説ではない」――文体の特異さや表現の稚拙さをあげつらい、そんなふうに批判する人もいる。だが瀬名さんはそうは思わない。「瀬名の小説はSFじゃないと言われ続けてきたので(笑)」

 ある種の理想を示す言葉のカテゴリーでは、あまりに一般的で「売れている」ものは、仲間はずれにされていくという。「あるロボット研究者が言っていたことだが、人口に膾炙(かいしゃ)したロボットは、ロボットと言われなくなる」

 飛行機のジャイロや自動販売機もロボットと呼ばれていた時代があった。当時のロボットの意味範囲を現代に当てはめると、自動洗濯機や自動車もロボットに入るはずだが……

 「あまりに身近なものはロボットと言わなくなり、ASIMOのような、使い方がよく見えないものが、ロボットとなっていった。ロボットは理想を表現する言葉になってきた」

 「SFもそう。“SFの理想像”からちょっと外れて浸透したものはSFと呼ばれない。『日本沈没』をSFと思って読んだ人はそれほど多くないのではないか」

 小説の辞書的な意味は「作者が自由な方法とスタイルで、不特定多数の読者を対象に人間や社会を描く様式」(三省堂「大辞林 第二版」)。ケータイ小説も十分、当てはまりそうだ。だが「小説に思い入れのある人には理想像のようなものがある。そこからは外れてしまったものは、小説と呼ばれなくなる」


電子書籍は「逃げ場がない」

画像 LIBRIeは電子ペーパーを採用した読書端末。バックライト不要で目に優しい

 ソニー製電子書籍「LIBRIe」(リブリエ)にも小説を書いた経験がある。自分自身でもLIBRIeに本を何冊もダウンロードし、読んでみた。「逃げ場がなく、不安に感じた」という。

 「それまで意識していなかったが、紙の本を読む時は、疲れたなと思ってパラパラとページをめくったり、表紙を見返したり、紙の手触りを味わったりしていた。だがLIBRIeは逃げ場がないから、文字を読むしかない。自分が本のどのあたりまで読み進んだのかも、手触りで感じられなくて不安」

 電子書籍は、小説よりは、集中して読まなくてはならない実用書や論文などに向いていそうだ。

紙の本のための「こだわり」、無意味になっていく

 1つの小説がネット公開されたり、携帯電話に配信されたり、電子書籍専用端末に配信されたり――ほんの少し前までは紙で読むしかなかった小説が、生データとなり、さまざまな媒体で流通している。紙の本専用のこだわり――例えばフォントの大きさや改行の位置など――が、どんどん無意味になっていく。

 ある有名作家は、ページの最後で必ず文章が切れるように書いているという。ハードカバーの作品を文庫本化する際も、文章がページをまたがないよう、すべて書き換えるそうだ。

 「でも、電子書籍になり、文字の大きさが自在に変えられるようになると、その作家がやっていることは意味がなくなる。壮大な無駄なのでは、と言われる日が来るかもしれない。とても難しい問題なので、今後も動向を見守りたい」

プロの自由と不自由

 今回の小説はTOKYO FMが版元。小説にはラジオを出すこと、TOKYO FMが参加している「Second Life」とリンクするような仮想世界を出すこと――が決まっており、その枠組みの中で物語を組み立てていった。

 こういった「プロの枠組み」が自由な表現を縛り、小説も書きにくくなってしまうのではないか――素人目にはそうも思うが、むしろ制約は書くときの判断材料になり、悪いことではないという。

 小説を粘土に例えてこう話す。「小説は、ある場面は彫り、ある場面は粘土を付け足し『このシェイプでいい』と決めてやっと物になる。TOKYO FMで本にするという前提があれば、ここを削ったほうがいい、こねたほうがいい、という判断する際の根拠になる」

 どんな作品にも制約はある。趣味の同人誌でも、判型や予算、ページ数、締め切り――さまざまな制約があり、完全に自由な創作というのはあり得ないだろう。それでもあえて聞いてみた。どういう創作が一番「自由」かを。

 「作家が一番自由なのは、デビュー作を書いている時だろう、きっと。新人賞の締め切り以外、何の制約もない。何年かけて書いてもいい」

 瀬名さんのデビュー作は「パラサイト・イヴ」。東北大学大学院薬学研究科在学中の1995年に発表し、日本ホラー小説大賞を受賞した。

2次創作、やってみたい

 瀬名さんは、映画や漫画を小説化する「ノベライズ」――2次創作を、以前からやりたいと思っていたという。

 「ノベライズは『金に困ったライターがやること』と見下す人もいるが、2次創作は、創作の根源的な責任を1次創作者に預けられる。しがらみから外れたある種の自由な創作が、そこにはある。例えば『∀ガンダム』のような世界観を1から作るのはすごく大変だが、2次創作は読むのも書くのも楽しいだろう」

初音ミクに知能は宿るか

 かつてのSFが描いたようなバーチャルアイドルが、インターネット上に生まれている。「初音ミク」や「THE IDOLM@STER」(アイマス)のアイドルたち――。瀬名さんは「ニコニコ動画」のIDは持っていないが、ミクやアイマスについて「社会的知能発生学研究会」の仲間に聞き、ミクオリジナル楽曲「ハジメテノオト」などに感動したという。

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