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“公認MAD”は流行るのか 2次創作のこれから座談会 UGCの可能性を考える(後編)(2/3 ページ)

» 2008年07月22日 08時29分 公開
[大塚純ITmedia]

吉川 文学などの場合は、引用なり、前の作品にインスピレーションを与えられて次を作ったりというのが、すごく長い歴史でやってきてるわけですよね。ところが、よく分からないけれど、今の音楽とか映像を見てると、全部マル、全部バツとか、非常に極端で、端から見てると「なんかちょっとその間が無いのかよ?」と思うんですよね。

栗原 これも中山信弘先生(元東京大学教授)の受け売りになってしまうんですけれど、結局、今の日本の著作権法って、そういう2次著作物を積極的に奨励するという考え方はほとんどないんですよ。2次著作物を作ると、結局その権利は全部、最初の著作物を作った人がコントロールできてしまうので、原著作者が嫌だと言えば、全部ダメになってしまう訳です。その新しい価値を加えた人と、もともとの作品を作った人で、上手に収益を分け合いましょうというような、そういう発想は全然ない。非常に苦しいですよね。

権利者の「心の問題」「金の問題」

津田 「金の問題」と「心の問題」とが両方あって、著作権者側は、そのシチュエーションに応じて、それは金の問題だというふうに言って断ることもあれば、金がもうかるからいいだろうと言うと、心の問題を理由にするという、2段構えがあるから強いんですよ。

栗原 ちなみに特許の世界だとそれは、一応の解決策を法が想定しているんですよ。すでにある発明を改良して新しい発明を作った際、元の人が権利を抱えていて使わせないと言ってきたら、特許庁に裁定を申し出て、無理矢理、強制クロスライセンスさせることがあるんですね。

津田 著作権も一応、文化庁が裁定制度というのを設けているんですけれど、現実には機能してないですよね。

日本版フェアユースという考え方

津田 まさに栗原さんのお話とか、中山先生のお話も、日本版のフェアユースをやろうという議論ですよね。フェアユースって全然万能じゃないし、日本とアメリカじゃ裁判制度も違うのでどうなるのかという話もあるけれど、それでも、無いよりかはマシだと思うんですよね。日本版のフェアユースをどう良い形で取り入れていくのかというのは、すごく重要で。

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栗原 フェアユースというのは、なんでもかんでも全部裁判にもっていくという話でもないんですよ。業界でガイドラインを決めてというやり方もあるし、法的強制力はなくとも、運用基準みたいなものを作るというようなやり方もあるはずなんです。アメリカのフェアユースをそのまま直接取り入れるのは厳しいと思いますけれど、日本風のフェアユースのやり方というのは十分ありえると思います。

津田 日本には話し合いの文化で、和解で解決してしまうというところがあるわけですけれど、現実的には画一的に運用される著作権法の中で利用する側にあまりにも交渉する余地がなかったので、そういう交渉の場で権利をもってる側中心になっていた。そういう部分が、フェアユースが導入されれば、利用する側にも「一分の理」ぐらいできるわけです。そうしたら自然と交渉の内容も変わっていくと思うんですよね。

吉川 逆にフェアユースが認められると、今度はどうしても2次利用されるのが嫌な人にとって、もう我慢できない状況が起きてしまうわけですよね。そういう場合、選択式にして、嫌な人は嫌と明示して、2次利用はまったくダメというような形はあるんですかね?

栗原 絶対使われたくないのであれば、それは一般に公開しないで、クローズドな場だけで会員制などにして公開すればいいんですよ。

津田 たぶん、そこで結局、著作権者とかクリエイターとかアーティストは、最後までそこは譲らないと思うんですよね。「こんな使われ方をするのは嫌だ」と言う権利だけは、とにかく最後まで永遠に残して欲しいというのが人格権の考え方ですから。

 それが今日の本当に一番の大きなテーマで。著作権法をどう変えていくのかと言ったら、もう今はこれだけネットが進んでしまって、コピーも自由になって、2次創作というのがバンバン行われる時代になってしまったんだから、たぶんそこを捨てなきゃいけない時代が来ると思うんですよね。それが嫌だったら、もう作品を公開するなというふうにしないと、たぶんどこかで破綻する気がして。

栗原 この議論を極めていくとね、例えば自分の作品が変な風にデフォルメされて、名誉を毀損(きそん)されたらどうするんだという話が出てくる。ただ、それは名誉毀損として処理すればいいだけで、あまり著作権の話にしてほしくない。財産権で苦しくなると人格権に話をすり替えるのは、もう典型的な詭弁ロジックだから十分気をつけないといけないでしょう。座談会での話としてはこれくらいにしておきますが(笑)。

津田 まぁ、まともになってきてる気がしますけれどね。こういう話がちゃんとITmediaに掲載されるということも含めて(笑)。それに、著作権の話ってアクセスが集まるじゃないですか。ようやく議論をしやすい環境になってきている気がします。

自分が作ったものは永遠にオレの所有物?

栗原 福井健策先生の「著作権とは何か」(集英社新書)という本に例が載っていて、アメリカのロイ・オービソンという人の「オー・プリティ・ウーマン」という曲の歌詞をですね、ラッパーのグループが引用して、卑猥(ひわい)な歌に使ってしまった。それをロイ・オービソンが訴えたんですけれど、ロイ・オービソン側が負けたという。つまり、誰にでもそういう茶化す権利があるだろうと、パロディとしての言論の自由はちゃんと保護されるべきだと。まぁ、アメリカっぽい考え方だなってことですよね。

津田 日本じゃちょっとありえない感じしますよね、それは。

栗原 せっかくのロマンチックなラブソングを卑猥な曲に変えられて不愉快だと思うのは、作者側の立場から言えばそうだけれど、なんだか陳腐な歌詞だから茶化してやったよというのは、それは別の考え方だと。

津田 それで卑猥な曲に使われたからと言って、じゃあオー・プリティ・ウーマンの原曲が好きな人がそれを聴いてね、両方聴いて、原曲を嫌いになるかと言えば、嫌いになる訳がないじゃないですか。そこで損なわれる価値って何なんだろうというのがあると思うんですけどね。

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栗原 たぶん、絶対的な価値ではなくて、あくまでも相対的な話で。

津田 あとは自分が「気に食わねぇ」ということですよね。ただ、文化審議会の議論に参加してすごく思うのは、やっぱりクリエイターの人とか著作者の人というのは、自分の作ったものを我が子のように思っているというのは、本当にそれは嘘ではないなということですね。

 例えば、美術の著作物であれば、描いた絵にしても壺にしても手元に残るじゃないですか。それは著作物であり、さらに美術品という財産でもありますよね。だから、その感覚だと思うんですよね、小説とか漫画も含めて。

 要するに、自分が作ったものは自分のものだと。それは永遠にオレの所有物であって当然だという感覚が、一部の著作者、クリエイターの人に、素朴な形で存在している。作品を作ったら、ある程度までたったら社会に還元する、公共性の高いものだというような考え方より先に、「オレの作ったものはオレのものだ」という感覚はある気がします。

栗原 みんなそうなんですかね? そのへんがちょっと感覚的によく分からないというか。たぶん、アーティストの中で「オレの作品は絶対だから、もうこれはいじらないでくれ」という立場の人がいるというのは確かにあるんですけど。作ってしまったらあとはもう、みんなでパロディにするなり、アレンジするなり、好きにしてよという人が結構いるんじゃないのかなぁ。

吉川 僕は、音楽とかはやらないですけど、少なくとも、自分が書いたブログとか報告書は、あとでどう使われようとある意味しようがない。それは嫌ですけれど、しようがないですよね。

栗原 改ざんされて、これが吉川さんが書いたものだと言われたら、それは困りますけど(笑)。

吉川 それは訴えますけど(笑)。少なくとも引用や紹介、まぁ、誤読されるぐらいはしようがないですよね。

太田 いやぁ、それは人によるんじゃないでしょうかねぇ。

津田 そうですよね、バラバラすぎるんですよね。

栗原 リミックスさせる人もいれば、させない人もいる、と、そういう話ですよね。

吉川 そんなに嫌なんだったら、対処法をいっしょに考えるべきなのに、そういう人達って、嫌だ嫌だと言ってるだけのような印象がありますね。

津田 アーティスト個別のレベルまで切り分ければ、ケースバイケースに決まってるんですけれど、ただ、同じ質問を原クリエイターじゃなくて、そのサポートをする、例えば、音楽事務所とかね、レコード会社の人にしたら、たぶん8割、9割は「やっぱりそんなものは許せない」という回答になると思いますよ。本音がどう思っているかはともかく、公式にはそう答えざるを得ないだろうなっていう。

吉川 それも分からないことはないんですけれど……。でも、だから、角川さんみたいに1歩前に出ようとしているのは偉いと思うんですよ。嫌なのは分かったから、じゃ、嫌じゃなくなる方法を考えてほしい。

2次利用の許容レベルは分野によって違いすぎる

津田 あと、あまりにもジャンルによって違いすぎるんですよ。例えば落語というコンテンツのジャンルがある。あれは古典落語というものが大きな軸として存在していて、数百年受け継がれてきた他人の作品を、どう自分流に2次利用するか、翻訳するかということが当たり前じゃないですか。「最初からコモンズ」みたいになっている世界だから、その辺のクリエイターの意識は音楽とかとまったく違う。

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