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では、初期人工知能の研究には意味がなかったのだろうか。まず、そこから知るために、筆者は、公立はこだて未来大学情報アーキテクチャ学科、松原仁(まつばらひとし)教授に会った。教授は、
「いや、意味はあったと思います」
と指摘する。
松原教授はチェスよりもはるかに指し手が複雑になる将棋(中国の象棋“シャンチー”や西洋のチェスは、とった相手の駒を盤面に戻すことはできないが将棋はできる)で人間に勝つコンピューターの開発を行う、現代の日本の研究者である。また、ロボットによるサッカーワールドカップ「ロボカップ」を立ち上げたメンバーの一人であり、現在もロボカップ日本委員会会長を務める人だ
人工知能の研究者は「自分たちでつくろう」と試みて、そして失敗した。失敗したことで、自分たちが考えていたよりも人間の知能がいかにすごいものなのかが、わかってきた。だからその試みは意味があることだったと思います。
口の悪い哲学者には「人工知能の研究者は木に登って月に近づいたと言っている。その方法ではいくら高い木に登っても月に行けないのに」なんて言う人もいますけど(笑)。しかしまずやってみて、そのうえで「この方法では月に行けない」と確かめることにも意味はあったはずです。
と教授は語った。
初期の研究者は、人間は不完全で機械は正確。人間にできることがコンピューターにやれないはずはないと、今から振り返るととんでもない勘違いをしていた。不完全どころか、人間の脳は地球上でもっとも精妙な、最高の思考機械だったのである。
人工知能の研究者が自分たちの手で知能を再現してみようとするまで、数千年にわたる人間の歴史の中、人体が持つこの偉大さは、あまり理解されてはこなかった。
たとえばこれは18世紀の例であるが、『人間機械論』を著したフランスの唯物論者、ド・ラ・メトリにとっては、人間などは、少々複雑なからくり仕掛けでしかなかった。
だが、その「からくり仕掛け」をいざ本当につくってみようとしたところ、いっこうに成功せず、しかもどうやれば実現するかもわからなかった。
この失敗が、私たちが私たち自身について、実はなにも知らなかったことに気づかせたのである。
初期の研究の失敗は、人間の思考が、「言語による論理記号の操作を、プログラムでシミュレートすればよい」などという単純なモデルで再現できるものではないことを教えた。
そして到達した結論は、意識はただ意識だけを実現しようとしてもダメで、世界の情報を獲得するセンサーや、その情報を解釈する機能、そしてその解釈を環境にフィードバックする機構が不可欠。環境と相互作用を行うことができる体が必要なのだという認識だった。
こうして人工知能という用語はロボット工学の先端では死語となっていき、その代わりに、体を持った機械、「知能ロボット」という用語が主流になっていったのである。
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