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» 2009年05月19日 15時10分 公開

第1章-2 「アトムを実現する方法は1つしかない」 松原仁教授が語る未来人とロボットの秘密(3/3 ページ)

[堀田純司,ITmedia]
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ロボットに支配される終末イメージ

 エンターテインメントの世界でも、日本の「ロボットもの」の場合、ロボットが人気の中心であり「主役メカ」という用語まで存在するが、欧米の作品では、ロボットはたいてい人間に仕える脇役として出てくる。そしてしばしば「愚カナル人間ハ、無謬ノ知性ヲ持ツワレワレニ支配サレナケレバナラナイ」などといった主張を掲げて人間に反乱したりする。

 これは創作物だけの話ではない。知能ロボット研究の大家、ハンス・モラベックはその著書『電脳生物たち』(原題「MIND CHILDREN」1988年)の中で「やがて機械が人間の手を離れて自己進化を遂げる世界がやってくる」と説いた。

 彼は「テクノロジーが進歩する限り、有機生命体のポテンシャルを自己改良型の思考機械が凌駕し、主役の座を乗っ取ることは進化の必然である」と指摘。そして、有機物のゆっくりとした生物的進化から解放された我々の心の産物(マインドチルドレン)が、やがて宇宙的規模で発展するというヴィジョンを提示し、人々を驚かせた。

 こうした“悲観論”は彼ひとりのものではなく、たとえば元サン・マイクロシステムズのチーフサイエンティストだったビル・ジョイは、2000年に「Why the future doesn,t need us(なぜ未来は我々を必要としないのか)」という記事を発表。ロボティクスと遺伝子工学、それにナノテクノロジーの成果は機械に自己複製の能力をもたらし、独自に進化をとげた機械はやがて地球上を覆い尽くす、という展望を語っている。いわゆる「グレイ・グー(gray goo=灰色の塊)問題」という終末イメージである。

 一見、この展望は荒唐無稽に思われるかもしれない。しかし現在でもすでにコンピューターウィルスやワームなど、自己増殖型のプログラムならば存在している。こうしたプログラムの変種が爆発的に増殖し、すべての仮想空間を埋め尽くしてしまう可能性はあり得ることだと感じないだろうか。であるならば、自己増殖型プログラムが機械の体という実体を獲得し、物理空間を埋め尽くしてしまうヴィジョンも、あり得るイメージではあるのである。

アトムを実現する方法

 しかしこのような悲観的なヴィジョンは、日本ではあまり見られないようである。アメリカの「ロボットもの」の傑作、1999年の映画『アイアン・ジャイアント』では、戦闘機械として地球に送りこまれた巨大ロボットに、安住の地はなかった。

 一方、日本のテレビ番組『無敵ロボ トライダーG7』(80年)では、近隣住民に注意をよびかけながら、あっけらかんと公園からロボットが出撃していった。この作品ではロボットの頭部は、ふだんは公園の遊具(オブジェ?)として近隣住民に親しまれていた(もっとも、この作品の敵勢力はロボット帝国だったが)。こうした例は枚挙にいとまがなく、確かに西洋と日本では、ずいぶんとロボット観が異なるように感じられる。

 初期の黄金時代のような技術信仰と、“悲観論”に現れる技術への恐怖。いずれの極にしろ西洋には、松原教授が指摘する「人間とそれ以外のもの」という区別が根強いようだ。

 現在の知能ロボット研究には、かつてのような、「人間にできることが機械にできないはずはない」という楽観はない。しかし、有機生命の持つシステムの精妙さを思い知った上で、それでもなお命の秘密を解き明かすべく、研究に臨んでいる。教授はその展望についてこう述べている。

 知能ロボット研究では「未知の事態に対応する能力が、知能だ」という定義がわりと広く受け入れられています。この「未知の事態に対応する能力」を実現するためにはなにが必要かというと、専門家によって意見は違うでしょうが、僕は直感だと考えています。この直感する能力を機械に持たせることが、かなり難しい。逆にいうともし直感を解明して、人工的に再現できたならば、人工知能はほぼ実現したと言って差し支えないでしょう。

 しかし「鉄腕アトム」のような知能を持つ存在を、ゼロからつくり込んでいきなり実現するのは、今はできないし、おそらく将来もできないでしょうね。

 これを実現するためには、なにか単純なものを生み出して、それを環境の中において学習させる。そうしてより複雑なものに、いわば育てていく。人間が赤ちゃんから大人になるように。この方法以外はないだろうなとは、私を含めてみんな気がついています。解があるとすればそれ以外にないんだと思います。

 人の機能を再現するにあたって立ちはだかる難関、「知能」。この「知能」とは、そもそもなんなのか。次章では“コミュニケーションしている状態”こそが知能であり、知能はデカルトが考えた心のように、それ自体が独立した実体ではない。つまり「知能とは主観的な現象である」と指摘する石黒教授の研究に取材する。

 教授は自身の仮説を、実際にアンドロイドの身体を“つくる”ことで検証している。そのアンドロイドは、人間そっくりなのだ。

(※)次回は5月20日に掲載します。

堀田純司

 ノンフィクションライター、編集者。1969年、大阪府大阪市生まれ。大阪桃山学院高校を中退後、上智大学文学部ドイツ文学科入学。在学中よりフリーとして働き始める。

 著書に日本のオタク文化に取材し、その深い掘り下げで注目を集めた「萌え萌えジャパン」(講談社)などがある。近刊は「自分でやってみた男」(同)。自分の好きな作品を自ら“やってみる”というネタ風の本書で“体験型”エンターテインメント紹介という独特の領域に踏み込む。


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