「たいへんな所に来ちゃったな」――はてなを辞め、グリーに入社してから1週間。伊藤直也さんはこう漏らす。グリーの動きの速さに驚き、追いつくのに必死という。
ニフティで「ココログ」を開発し、04年、はてなに転職。05年、ヒットサービス「はてなブックマーク」を生み出し、CTOとしてはてなの技術を統括してきた。
はてなの技術の代名詞でもあった伊藤さんは、なぜこのタイミングでグリーに移ったのか。グリーは伊藤さんに、何を期待しているのか。伊藤さんと、グリーの田中良和社長に聞いた。
――なぜはてなを辞めたのですか。
伊藤 いろんなことが重なって、環境を変えてみようと思っていた。
はてなにはスタートアップのころから6年いて、40〜50人の会社に成長した。はてなは、(社長が)アメリカに行ってみたりなど遠回りする会社。自分が思い描いていたベンチャーのスピードより、成長が遅かった。がーっとやって結果を出せなかったので、一区切り付けようと思った。
長くいすぎて環境に慣れ切ってしまい、偉くなりすぎて仕事へのモチベーションを保つのが難しくなった。向こう3年とか10年とか、「こういうことをやっていくぞ」という大きな目標を自分で創出できれば迷わないでやっていけたと思うが、それができなくなっていた。入社当時は、自分が作ったサービスを日本一にするとか、日本や世界の競争相手に負けないようにするとか、いろいろなモチベーションがあったのだが。
伊藤 東京だとグリーとディー・エヌ・エー(DeNA)とミクシィの競争が激しくなっていて、ネット全体でもソーシャルメディアの競争が大きなトレンドだが、(本社や開発部隊が京都にある)はてなはそこから一歩引いて、別のところでやってみようというポリシーと思う。
ブログサービスが盛り上がった04年ごろは、自分もその中にいたのでプレゼンスを保つことができていたと思う(ニフティで「ココログ」を開発し、「はてなダイアリー」を提供するはてなに移籍)。今、新しい競争が始まって、そこから一歩離れたところでのほほんとしている訳にもいかないと考えた。
京都は開発に集中するには良かったが、東京の情報と距離があった。「あそこの会社が今期でこれぐらい成長した」など話を聞き、向こう何年かを考えて「この競争の中に自分は参加しなくて大丈夫か」とすごく不安になった。自分はもう一度、競争の渦中に戻ってみようと思った。
実際、グリーで働いてトレンドの中心にいると、入ってくる情報の品質、スピード、量は圧倒的に違う。3年後振り返ったら、全然違う人になっていそうな気がする。
はてなは属人的な会社というイメージ強かった思うが、今はチームワークの会社。僕が抜けてもまったく動じないと思う。むしろ自分が抜けたことで新陳代謝が起きて、成長していくのではないか。将来はグリーのライバルになるかもしれないが、競争していきたい。
はてなに残り続けるか、東京に戻って転職するか迷ってた時、以前から親しかったグリーの田中社長と話す機会があり、一緒にやらないかという話をいただいた。「グリーに引き抜かれた」という誤解もあるようだが違う。田中さんには以前から声を掛けてもらっていたので、その恩に応えないとというのがあった。
田中 ブログやTwitterなどを見ると、“ハイソ”なはてなから、一般大衆のグリーに転職か、という声もあるようだけれど。
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