ITmedia NEWS > ネットの話題 >

精神論で語れ、電子書籍 デジタルは人の熱意を伝えることができるのか部屋とディスプレイとわたし(2/3 ページ)

» 2012年09月24日 17時55分 公開
[堀田純司,ITmedia]

 それは精神論でもあるのですが、事実、日本の出版界は(コンテンツ業界はとまで言ってもいいのかもしれませんが)、漫画が牽引し、その漫画は多くの場合、活気あるつくりを心がける漫画誌で発表され、そのエネルギーがきっと単行本にまで及んできたわけです。そうした結果から見て「活気重視」は、この分野におけるよりよき伝統のひとつであったと思います。

 「たとえ100万部刷っても雑誌は赤字」という状況に陥り、単行本で利益をあげるという構造が先鋭化した現在では少し変わってきましたが、私の若いころは「先の展開への布石として、今週はあえて説明に終始しています」などというと、ボスに目の玉が飛び出るほど怒られたものでした。

 まずとにかく(場合によっては後先考えずに)その回、その回が面白いことに全力を注ぐ。その一話一話の集積が作品全体の面白さにつながる、という雑誌発表ならではの方法論も、日本の漫画ならではの伝統といえるかもしれません。フランスのコミック、バンド・デシネなどは一作を何年もかけて描き下ろすことはごく普通だそうで、同じヴィジュアル表現でもずいぶんと違うものだと感じます。余談ですが分業体制が確立されているアメコミの場合は、案外、日本の漫画に近しい気がします。ていうかあちらが日本の漫画の先祖な訳ですね。

電子書籍で「活気」は伝わるか

 しかしそうした「活気重視」のつくり方は、電子書籍に持ち込むことができるのでしょうか。電子書籍でも活気を伝えることはできるのでしょうか。

 そう考えた時に思い出されるのは漫画雑誌、週刊「モーニング」の創刊編集長だった栗原良幸氏の言葉で、私は氏が、デジタルコンテンツについて「クールな(この場合は文字通り“冷たい”の意)な媒体で鑑賞されるデジタルコンテンツを読者に楽しんでもらうためには、今まで以上につくり手が熱い気持ちを持たないといけない」とおっしゃっていたのを聴いたことがあります。

 栗原氏は、漫画史上の名物編集者で、本宮ひろ志氏や永井豪氏ら大漫画家のエッセイでも必ずといっていいほど回顧されている方。近年では小林まこと氏の『青春少年マガジン1978〜1983』(講談社)に登場し、「この漫画は、音楽で描け」という名言と進行上のムチャぶりを放った人として描かれています。

 「音楽で描け」。言葉の意味はよくわからんが、とにかくカッコいい。人をやる気にさせるのは、こうした言葉なのかもしれません(勝手にですが、この言葉は、黒澤明監督の『七人の侍』が、ドボルザークの交響曲「新世界より」を下敷きにして構想された、という逸話が元になっているのではないか、と想像しています)。栗原氏は2011年に、文化庁メディア芸術祭で功労賞を受賞なさいました。

 私は自分自身、よく「空間恐怖症」と呼ばれる、少しでも隙間があるとそこに小さい字でなにか詰め込んでしまうという雑誌編集者にありがちな病気の罹患者だった上、栗原さんの言葉も「なるほどなあ」と思っていただけに、自分たち作家が集まり、電子書籍「AiR」をつくった際、特に漫画作品のあしらいには気合を入れました。

 漫画雑誌のノリを電子で完全再現しようと考え、久々に昔、習い覚えたアオリや柱のスキルを再起動させようとしたものです。その結果、実は100%、アートディレクターのナカノケン氏のおかげだったものの、実際かなり雑誌ノリを再現したと感じるのですが、それでもやはりiPadのディスプレイに表示される漫画のページは、紙よりも硬質な印象を、見る人に与えたようでした。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.