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「マイルドヤンキー」論への違和感 “再発見”する東京の視線と、大きな物語なき後のなにか(3/5 ページ)

» 2014年05月23日 14時29分 公開
[堀田純司ITmedia]

ヤンキー文化の「市場」、オタク文化に匹敵

 オタク文化ばかりが強調されがちな日本のコンテンツ産業であるが、実は「ヤンキー文化」もオタク文化に勝るとも劣らない規模を誇ってきた。

 この分野にも独自の美学や様式がある。美術批評家の暮沢剛巳さんはこのヤンキー文化について、著書「キャラクター文化入門」(2010年・NHK出版)の中で「現代日本社会に偏在し、多くの担い手を持ち、視覚的にインパクトを持つという点で、オタク文化に匹敵する鉱脈である」と指摘していた。

 代表的な例が80年代の「ビー・バップ・ハイスクール」や「湘南爆走族」といった作品だが、その後も90年代の顔となった「特攻の拓」、「ろくでなしBLUES」、路上のリアルを追求した森恒二さんの「ホーリーランド」、映画やスピンアウトも製作される「クローズ」や「WORST」など高橋ヒロシさんの作品、南勝久さんの「なにわ友あれ」や、高橋ツトムさんの「爆音列島」、ギャグ漫画では「エリートヤンキー三郎」など、豊かな成果を生み出してきた。

 また、こうしたヤンキー文化の作品が掲載されることの多い(印象がある)「ヤングマガジン」(講談社)、「ヤングジャンプ」(集英社)などの雑誌は、全盛期は200万部を越え、時代の流れの中で規模は縮小していったものの、現在も青年誌としてトップの発行部数を達成している。オタク系の雑誌は、部数だけならばこれらの雑誌にはるかに及ばない(※注3)。

 ちなみにこうしたヤンキー系漫画誌の編集者に最近のヤンキー論について訊いてみたのだが、やっぱり苦笑して「もともとずっとあったものなので、今更と思いますけどね」と言っていた。

「東京的な視点」によるヤンキーの「発見」

 だが、こうしたヤンキー文化の作品は、オタク文化の作品とくらべて評論や報道の対象になることは少ない。

 前述の暮沢さんはこの事情について「当事者性の有無」の問題だと指摘していたが(要するにオタク系の作品のほうが、自らの趣味を言語化したり報道したりする人に恵まれている。自身もオタクである記者が好きな作品を取り上げることは多くても、自身ヤンキーである記者がヤンキー作品を取り上げることは実際問題少ない)、在京メディアを中心とする「東京的な視点」で取り上げられなくとも、現実としては日本全国に大きな市場が存在している。

 「マイルドヤンキー論」も同じことではないか。もともと現実に存在した。それを一時期見失い、また発見しただけではないか。

 東京的な視点からいうと、それは目新しいかもしれない。しかしその視点は実はマジョリティですらなく、むしろ日本のリアルの方から見ると、口数だけは多いメディアというものの根無し草性、はっきり言うと軽薄さを、露呈したものにしか見えないことだろう。ただ「タイマン張ったらダチじゃあ!」という身体的なリアルを重視するヤンキー文化の中では、そうした視点が言語化されることは少ないのだろうけれど(※注4)。


※注3)もちろん相互の“市場規模”を比較するのであれば、単価や単行本部数を考慮しなければならないが。

※注4)しかし決して絶無ではない。

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