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» 2019年07月30日 07時00分 公開

「量子理論の副産物に過ぎなかった」──東芝の「量子コンピュータより速いアルゴリズム」誕生秘話「量子コンピュータとは何か」を問う“新たな壁”(2/5 ページ)

[井上輝一,ITmedia]

検証のきっかけは「ライバル機」

 発表後1年半ほど、後藤さんが古典分岐マシンを検証することはなかったという。しかし、国内外で量子コンピュータの研究が進む中で、「あるマシン」の登場が古典分岐マシンを検証するきっかけとなる。NTT、国立情報学研究所、大阪大学などが共同で研究開発し、16年末に発表した「コヒーレント・イジングマシン」だ。

NTTなどが開発した「コヒーレント・イジングマシン」

 コヒーレント・イジングマシンは光とFPGAを用いて組合せ最適化問題を解くマシンで、日本向けのプレスリリースでは「量子ニューラルネットワーク」とも名付けられていたことから、「日本版量子コンピュータだ」と話題になった。

 「『本当に量子性を用いて計算しているのか』という議論もあったが、従来のコンピュータの10倍以上の速度で問題が解けることは間違いなく、研究者間では高く評価されていた」と、後藤さんはコヒーレント・イジングマシンの活躍を見ていた。

 「コヒーレント・イジングマシンは計算に『分岐現象』を利用している」と後藤さんは解説する。分岐とは、初めはある1カ所のみに点が安定しているが、パラメータ(時間)の変化につれて安定する箇所が複数に分かれるという物理現象だ。分岐現象の計算への利用は、「+1と−1のような離散変数ではなく、連続する変数を離散に置き換える計算に都合がいい」と後藤さんはいう。

 くしくも、量子分岐マシン・古典分岐マシンともに、この分岐現象を計算原理の一つにする理論だった。

 古典か量子か分からないが、分岐現象を利用した計算マシンが活躍している──そんな状況を見て、「コヒーレント・イジングマシンが解いた問題を古典分岐マシンで解くとどうなるのか」と後藤さんが試してみたところ、「どうやら早く解けそうだと気付いた」(同)

 これをきっかけに、後藤さんは古典分岐マシンの研究を始めた。そして、古典分岐マシンを並列計算に適した形である「シミュレーテッド分岐アルゴリズム」(Simulated Bifurcation, SB)に仕上げた。

量子アニーリングとデジタル回路の良いところ取り

 「SBは、従来技術の課題を克服している」と後藤さんはいう。

 「従来技術」とは、量子アニーリングと、量子アニーリングをデジタル回路で模倣するシミュレーテッドアニーリング、そしてコヒーレント・イジングマシンを指す。

 いずれのマシンも、組合せ最適化問題を表す「イジングモデル」を解くためのマシンだ。イジングモデルは、複数の(量子)ビット間に「相互作用」を設定する。設定された相互作用によって、ビットAとビットBが同じ方向を向きやすいか、違う方向を向きやすいかが変わる。向きやすい方向にビットが落ち着く方が、モデル全体のエネルギーが低くなる。

 例えば、ここにビットAとビットBがあり、いずれも+1もしくは−1の値を取るとする。相互作用も+1や−1などの値を取る。エネルギーは(ビットA)×(ビットB)×(相互作用)という積になる。もし相互作用が+1なら、AとBの組み合わせは+1と−1、もしくは−1と+1を選べば、エネルギーが−1となり小さくなる。この計算をビット数の分だけ行い、全て足し合わせたものが「モデル全体のエネルギー」になる(本来は局所磁場も考慮するがここでは割愛する)。

【訂正:2019年8月1日 相互作用について記述をあらためました】

 この「モデル全体のエネルギー」の最小値が組み合わせの最適解に当たるのだが、理論的には全てのビットについて総当たりの計算をしないと厳密な解は得られない。この計算量は、ビット数をNとするなら2のN乗という指数関数で増えるため、例えば100ビットの総当たりなら2の100乗(1兆×1兆×100万)回計算しなければならず、現実的に計算が終わらない。

自然に答えを見つけ出す量子アニーリング しかしハードウェア実装に課題

 この困難な問題に対し、一つのブレークスルーを示したのが量子アニーリングだ。量子アニーリングはビットに量子ビットを用いる。「シュレディンガーの猫」で有名な量子の「重ね合わせ」状態から徐々に量子ビットの向きを確定させていくと、この過程で「量子トンネル効果」という量子特有の効果が働き、各ビットの方向がエネルギーの最小値を示す(と思われる)状態に自然に落ち着く。普通の計算機のような総当たり計算はせず、量子力学の物理現象に結果を任せるため、計算開始から終了までの時間は非常に短い。

カナダD-Wave Systemsの量子アニーリングマシン「D-Wave」

 しかし、量子アニーリングを実現しているカナダD-Wave Systemsのマシン「D-Wave」は超電導量子ビットを用いるため、回路を絶対零度付近まで冷やさなければいけない。絶対零度付近でもなお、わずかに残った熱が量子ビットのエラーにつながるため、最適解が出るとも限らない。

 また、量子ビット間に相互作用を設定するにはビット同士を物理的に結合させなくてはならないため、ビット数が増えれば隣り合うビット同士でしか相互作用を設定できず(隣接結合)、解ける問題に制限が出る。回路全体を冷やす必要もあることから、量子ビット数を増やす大規模化にも課題がある。

 D-Waveの例から分かるように、イジングモデルを高速に計算するマシンが扱える問題の大きさは、「何変数(ビット)まで扱えるか」「変数同士はいくつ結合できるか」という要素に左右される。

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