ここまででお分かりのように、配信プラットフォームの本質は「良い店舗である」ということである。
「App StoreやKindle Storeがいい店舗と思えないんだけど」
はいはい、そう思うのはよく分かる。だがここで重要なのは「他よりも良い」「他よりも安心できる」という点だ。
アプリストアがプラットフォームに1つであれば、他に負けることはない。一方で、その唯一のストアの出来が悪く、品ぞろえが貧弱であれば、利用者は離れていく。プラットフォームそのものが支持を得られなければ本末転倒。だから「独占」にはとても大きなリスクも伴う。
店が安心して使えないと意味がない。海賊版がなく、値段が安定しており、マルウェアなどが混入していないこと。大人から子供まで同じように使えること。
配信ストアのもつ「審査」という要素はここに由来する。
どんな店でも、何を仕入れて店頭にどう並べるかは、その店の個性を決めるものだ。その店で品物を買うということは、その店の仕入れと店舗作りを信頼しており、「その店なら自分が求めるものがある」「変なものを売りつけられる確率が低い」ということ。その要素は想像する以上に大きい。
単純にWebを介して売るのは難しいことではない。だが、審査によってその企業が定める「ストアとしての一定の水準」「マルウェアの混入防止」の徹底をしたストアは、App Storeが生まれるまであまりなかった。スマートフォンという、PC以上にパーソナルな要素をもつ機器では、そうした安全性がより重要視された、という部分はあるだろう。審査には相応の時間とコストがかかる。
審査は悪者にされがちだが、その本質は「いい店を作るための要素」に他ならず、現在のプラットフォーマーにおける重要な要素である。問題は「いい店」の定義が、国や企業によって異なることなのだが。
過去、PCにおいてソフトウェアの流通はプラットフォームの縛りが緩かった。収益はハードウェアやOS自体の販売から得られるもの。ソフトウェアの流通から収益を得るのはあくまで「流通事業者」だった。ハードウェアとOSの情報は公開されており、自由にソフトを作ることができた。それが今も昔も、PCの最大の魅力である。
それとは一線を画した存在だったのが「家庭用ゲーム機」だ。独自に開発されたハードウェアを使い、その開発情報は基本的に秘匿されている。ゲーム機だけでなくソフトの製造もゲームプラットフォーマーが管理する。理由は収益の最大化だが、それだけでなく、「売り場のコントロール」ができることが重要だった。質の悪いゲームが市場にあふれることを防いだり、効率的に広告宣伝をしたり、社会の批判から市場を守るためには、そうした仕組みが必須だったのだ。
ご存じの通り、このモデルを広めたのは任天堂だ。だが、それ以前、アタリの時代から萌芽はあったし、ファミコンが生まれた直後には、そこまで「プラットフォーム化によるビジネス」を強く志向していたわけではない。ファミコンの初期、ナムコやコナミ、ハドソンといった企業との関係の中で醸成され、成功したモデルが、その後のプラットフォームビジネスを作り上げていった、というのが実情だろう。
App Storeのモデルは、ゲーム機のビジネスモデルから影響を受けていることは間違いない。App Store以前にも携帯電話向けのアプリストア(日本で言えば、ドコモの「iアプリ」やKDDIの「EZアプリ」)は存在していたものの、規模感や料率、プラットフォームコントロールの考え方に差異がある。
ゲーム機における「料率」は、物理メディア製造のコストによって変わってきた経緯があり変化しているが、ディスクメディアが中心になってからはほぼ「30%」といっていい。
AppleはiTunes Storeで「良いストアを運営してコンテンツ販売する」ことの旨味を十分に分かっていた。そしてその上で、家庭用ゲーム機やi-modeなど様々なプラットフォームビジネスを分析し、App Storeのビジネスモデルを組み立てたと思われる。
なお、筆者の知る限り、App Storeの「30%」というモデルを決めたのはスティーブ・ジョブズである(私もジョブズを知る人からそう聞いているし、同様の話を聞いている人が複数存在することから、間違いなさそうだ)。
そして、その後ゲームもオンライン配信の比率が高まっていくが、その際には物理メディア流通に加え、App Storeの30%モデルが考慮されたのは間違いなく、ある種の先祖返りが起きている。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PR