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「鬼滅の刃」が終幕を迎えてもヒットが続く理由 コンテンツデリバリーが変えた「終わるコンテンツ」ヒットの法則(1/2 ページ)

» 2020年12月24日 07時00分 公開
[西田宗千佳ITmedia]

 ライターというのは芸人のようなところがある。原稿を世に出してそれがウケると次につながる。そうするとプロとしては、毎回「仕上がった」ネタを提示するのが本来の形かと思う。

 が、このコラムでは、ごくまれに「自分でもまだ仕上がりきってない」と思うネタを公開することもある。今回はそんな話だ。

この記事について

この記事は、毎週月曜日に配信されているメールマガジン『小寺・西田の「マンデーランチビュッフェ」』から、一部を転載したものです。今回の記事は2020年12月21日に配信されたものです。メールマガジン購読(月額660円・税込)の申し込みはこちらから

 今年の大ヒットといえば『鬼滅の刃』。人気の最中に週刊少年ジャンプでの連載が終了し、「連載期間は長いのか短いのか」といった論争が生まれたりもした。

 ただ現実問題として、「いつ終わるか分からない作品」への評価が明確に変わってきている、というのも事実だと思う。

 これはなぜ生まれているのだろうか?

 そこに筆者は「地上波テレビ放送の位置付けの変化」がある、と思っている。まだ仮説の域を出ない部分はあるが(すなわち「仕上がっていない」のだ)、全体を俯瞰すると、ちょっと面白い話なのは間違いない。

 そこで、コンテンツ流通論としての「コンテンツの長さと消費価値」について、まず第一段階として、ここでまとめてみたいと思う。

『鬼滅』が終わってもヒットした理由を考える

 『鬼滅の刃』は理想的なエンディングを迎えた。「雑誌の側が引き伸ばさず、うまく終わることの価値を理解したのだ」という話が語られることが多いのだが、その本質はなんなのだろうか?

photo 原作漫画のまだ前半の一部を描いた映画は空前の大ヒット

 終わるべき時に終わることができず、終わり方がしまらない作品は枚挙にいとまがない。大ヒット作品でもそのエンディングを知る人は意外と少なく、「勢いがなくなるように終わる」ものの方が多いのは事実だ。そうでなかったことが『鬼滅の刃』のような作品にとって幸せなことであったのは間違いない。

 ここに一つの疑問が浮かぶ。

 そもそも、ビジネス的に見たとき、「ストーリーの終わり」とはなんなのだろうか? 過去の作品にとっては「なかなか終わらない」ことに大きな価値があった。だが今は、ストーリーが終わったとしても、それが直接的にビジネスの終息を意味しているわけではない。

 商業的な意味で重要なことは、1つのコンテンツからできる限り長く、大きな収益が得られるようにすることだ。そのためには、コンテンツへに注目(=人気)が集まり続ける必要がある。

 実際、『鬼滅』はストーリーが終わってもちゃんとビジネスが続いている。ファンはいて、キャラクターグッズも売れる。

 なぜ過去には、ストーリーは続かないといけなかったのだろうか? そこで考えるべきは、「大ヒットコンテンツにおけるテレビの役割」だ。

テレビ番組のサイクルと「作品」のサイクル

 コンテンツへの注目に大きな役割を果たしているのが「地上波テレビ放送」だ。コミックの場合、アニメ化やドラマ化は大きな影響力を持つ。

 そろそろよく知られたことかと思うが、作者や出版社の目線で見た場合、アニメ化やドラマ化による「作品からの直接的な権利料収入」はそこまで大きなものではない。一定の額は入ってくるが、それよりも、周知が拡大することによってコミックや雑誌の売り上げが伸び、キャラクターグッズなどの販売が加速することによって収益が拡大する。地上波テレビによる放送とは、今も昔も、最も影響力がある広告手段なのである。

 しかし、2000年以前と今では、地上波番組の位置付けが大きく変わった。

 過去には同じ番組が半年以上続くことが珍しくなかった。人気番組を習慣化して見続けることが普通のことだったからだ。

 現在は違う。多くの作品は3カ月単位で入れ替えられ、半年続くものは少数。1年単位で続く番組は、「ニチアサ」に代表される年次更新型のシリーズか、人気バラエティ番組か、一部の子供向けアニメのように「完全定番化」したものだけである。

 言い換えれば、2000年以前は番組が「長く続く」ことが前提であり、短く終わることは不調による特殊事情を意味していた。だが、今は違う。最初から3カ月単位で番組が変わることが予定されていて、人気のバロメーターは「次のシーズン」もしくは「続編」が作られるかどうか、になっている。

 全員が毎週同じようにテレビ番組を見ることを前提としていた時代、「テレビ番組が終わる」ことは、そのコンテンツの減速につながった。テレビで放送されていることが最大かつ強烈なアテンションになっていたからだ。

 だが、「番組は終わる」ことが前提となり、人々の習慣もそれにひもづいたものになると、テレビ番組の終了がそのままコンテンツの寿命に直結することはない。

 これは昔からそうだったが、ファンはストーリーがどうあろうと作品を楽しむ。キャラクターやシチュエーションを消費しており、勝手に「隙間から何かを生み出す」ものだからだ。隙間の可能性が豊かなものほど、最終的には大きなヒット作品になる傾向がある。

 さらに現在は、番組を何度も楽しむ方法が増えた。ディスク販売から映像配信、Netflixのような定額制配信になっていくことで、「何度も見る」「一気に見る」ことは簡単になり、コスト的なハードルも低くなっている。

 良いコンテンツであれば、見せれば見せるほどファンは増える。もちろん「飽き」と無縁ではなく、コンテンツの命は永遠というわけではない。しかし、「テレビ放送のサイクル」がマスコンテンツの命脈を握っている時代ではないのだ。

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