ITmedia NEWS >

Clubhouseで楽しさを知った会話の「輪」はさらに広がる 「音声」の重要性を改めて考えてみた(1/2 ページ)

» 2021年02月25日 07時08分 公開
[西田宗千佳ITmedia]

 最近「音声」の話題が増えている。Clubhouseのヒットも音声がらみだし、日本で春に向けて大手携帯電話事業者が打ち出す料金プランの中でも「通話」の扱いがポイントになってきている。

 コミュニケーションとしての「音声」とコンテンツとしての「音声」、方向性は違うものだが、奥底にある「声」という要素には共通性があり、さらに、データ通信コスト構造の変化が強い後押しとなっている点も共通している。

 「音声」とそれを取り巻くテクノロジーの今について、少し考えてみることにしよう。

この記事について

この記事は、毎週月曜日に配信されているメールマガジン『小寺・西田の「マンデーランチビュッフェ」』から、一部を転載したものです。今回の記事は2021年2月22日に配信されたものです。メールマガジン購読(月額660円・税込)の申し込みはこちらから

音声コミュニケーションとその歴史

 言うまでもなく、アナログ技術が主軸である時代から、「音声」はコミュニケーションにおいても、コンテンツにおいても重要なものだった。アナログの場合、音を信号に変えて記録したり伝送したりするのは比較的シンプルな技術であり、映像や文字に比べて早期から品質を高めやすかった、ということはあるだろう。

 そもそも人間にとって、「声」は最も原初的なコミュニケーション方法である。「読み書き」は学習の結果獲得する能力。アナログ時代でもモールス信号のような技術なら声よりももっと簡単に実現できたわけだが、通常の読み書きを習得した上でさらにモールス信号を覚えなければいけないので、マスに利用してもらうためのハードルは意外と高い。

 コンピュータとネットワークの進化によって、多くの人が「文字でのコミュニケーション」が可能になったのは1980年代以降だから、「ラジオ」「レコード」「電話」という存在がいかに長く使われ、基盤となっているかが分かろうというものだ。

 ただし、過去40年ほど(すなわち、技術が高度化していった時代)を考えると、音声は基盤でありつつも、少しずつ主軸からずれていった。エンターテインメントにおいては「映像」の価値が高まり、コミュニケーションにおいては「文字」の価値が高まったためだ。

 特に、ネットワーク技術定着以降の「文字」の重要さについては、いまさら説明するまでもないだろう。電話は「相手と時間を合わせて話さないといけない」が、文字ならば、メールなどの形で相手に送っておくことで「非同期コミュニケーション」が可能になる。また、SNSのように大量のメッセージを流し、フローとして扱うこともできるようになった。

 声には「内容を把握するために一定の時間が必要である」「相手も同じ時間を過ごさないといけない」という特質があり、ネットワークによる文字ベースの非同期コミュニケーションは、音声コミュニケーションの面倒な部分を解消したため、急速に広がった部分はある。

 「もうあまり電話しない」「音声コミュニケーションはしない」という人もいるが、それは、文字ベースのコミュニケーションが持っている快適さが音声コミュニケーションの持つ不都合さを超えた、と感じているからだろう。

コロナ禍で見えた「日常としての音声」の重要性

 ただ、その見方は一方的なものでもある。

 コミュニケーションだけでも、みなさんもそう感じているのではないだろうか。リアルに集まりづらい状況が続いていると、実は日常の「近い距離」でのコミュニケーションが音声に依存していたことに気付く。

 仕事場でのコミュニケーションもそうだが、筆者が特に感じるのは、イベントなどでの「立ち話」の重要性だ。オンラインイベントになって人と会えなくなった結果、立ち話での軽いコミュニケーションが減った。イベントや学会などで、廊下で人と会って立ち話をすることによって得られるものは、決して小さなものではない。それは現状の技術だと、文字では再現が難しい。

 また、意外と忘れがちなことではあるが、「タイプして文字でコミュニケーションすること」はそれなりに脳を使うタスクであり、全ての人が好むわけではない、という点もある。「何かというと電話してくる人」はオールドタイプで嫌われるというイメージがありそうだが、彼らの視点から見れば、「話せば数分で終わることで、なぜ文字を打たなければいけないのか」という意見になる。それを単純に否定するのは間違っている。

 音声というシンプルでインスタントなコミュニケーションには独自の価値がある。リアル+ネット、という当たり前の関係が問題なく機能している時には感じられなかったが、むしろコロナ禍では「基礎としての音声コミュニケーションの重要さ」が再確認された部分がある。

 また、ラジオが根強い価値を持っていることから分かるように、エンターテインメントの中での「音声」にはそもそも重要な価値がある。目を奪わず、ながらで消費しやすいコンテンツ、という価値は小さなものではない。

 ポッドキャストやオーディオブックなどのマネタイズでは、アメリカなど海外の方が進んでいる。それは、自動車移動が長い国だと、日本以上に音声コンテンツの価値が高いからだろう。また、日本の場合、ネットでのコンテンツビジネス自体がこれまで極度に都市型であり、運転時間の長い地方の方を向いていなかった、という部分もありそうだ。そもそも日本でも、ラジオの熱心な支持者はプロ運転手の方々などの、運転時間の長い人々であり、欧米同様、音声コンテンツの価値を高める方法はある、と考えている。

 むしろ日本で面白い傾向だと思うのは、YouTuberの作るコンテンツの多くが「ポッドキャスト的」だ、という点だ。映像よりも音声での説明に重点を置いており、映像を見ていなくても成立するものが少なくない。結局、映像がついているのは「YouTubeという場でマネタイズがしやすいから」であり、「写真やテロップで目立たせやすいから」でもあるのだろう。

 だとするならば、音声コンテンツをうまく目立たせ、マネタイズする方法論が増えてくれば、現在のYouTuberの一部は音声コンテンツへと移行するのではないか……という気がする。

photo ポッドキャストは火星のサウンドを届けるまでになった
       1|2 次のページへ

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.