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“飛ばし見”や“高速再生”が増えたのは、コンテンツが増え過ぎたからなのか(2/3 ページ)

» 2021年03月31日 15時35分 公開
[西田宗千佳ITmedia]

触れられるコンテンツの数は人によって異なる

 実は「コンテンツが増えた」という現象について、筆者はもうちょっと違う見方をしている。コンテンツを本数として見た場合、数が増えていることに事実としては同意するものの、各個人から見える現象は、性質が違うのではないか、と思うのだ。

 まず作品へのリーチに関し、過去に存在していた巨大な地域差が解消されていることは重要だ。

 ネット配信が定着する以前、日本におけるコンテンツ流通は「店舗」と「テレビ」、そして「ホール」(映画館やコンサートホール)が軸だった。

 店舗流通には「在庫」という限界があり、一部の名作と新作を中心に回転せざるを得ない。さらに地方では、その店舗の数も限られているし、新作を流すためのテレビのチャンネルも少なく、映画館・コンサートホールの数も少ない。

 都市部と地方の格差はいまだ存在する。だが、ネットでのコンテンツ流通が本格化した結果、格差を埋めるためのコストは時間・金額の両面で大きく下がり、ギャップは小さくなってきたといえるだろう。

 すなわち、「コンテンツが増える」ということをどう捉えるかは、都市で住む人と地方で住む人の間ですら認識が異なるのだ。

 また、ネットに多量のコンテンツがあること=その人が多量のコンテンツに触れている、とも限らない。

 シンプルな話なのだが、ネット上では積極的にならないと作品を探しにくい。画面の上に並ぶリストやアイコンの量はたかだか数十件。店舗などに入った時、目に入ってくる製品の数の方がずっと多い。だから「レコメンド」機能などを使って、その人が興味を持ちそうな作品を提示して、画面の持つ「狭さというハンディー」をカバーしようとしているわけだ。

 過去の作品も含めると、確かに触れられる作品の数は増えている。だが、実際に増えている数と「人が接触できる数」はイコールではなく、触れる数も人によって相当の違いがある。

細切れ化する時間がわれわれを追い立てる

 では、なぜ我々は「コンテンツが増えて、時間がなくなった」と感じやすくなっているのだろうか?

 そこには「時間の使い方の変化」がある、と筆者は考えている。大きいのは、冒頭で述べた「マイクロコンテンツ化」の影響だ。

 SNSやYouTubeの存在は、単位が小さく、より短い時間でのコンテンツ利用を促す。

 これが何を生み出すのかは、ブロックを箱に詰める様子を思い浮かべると分かりやすい。大きなブロックだけでは、箱の中を隙間なく詰めるのは難しい。だが小さなブロックがあれば、隙間はよりきれいに埋まる。

 マイクロコンテンツが大量に生まれる現在は、従来であれば空いていた隙間時間もコンテンツ消費で埋まりやすくなっており、結果として「たくさん見ている」「時間がない」感じになっていきやすい。スマートフォンに代表されるモバイルデバイスの普及により、消費の場所を選ばなくなっている影響も大きいだろう。

 SNSや友人との間で話題にすることの価値が高まっている現在は、「見ておきたい」作品も増えているだろう。そうした生理から、「作品の消費時間が足りない」と思う人がいて、そこで効率的な「飛ばし見」「高速再生」などを使う人が出てくるのは自然なことである。VHSで「早送り」が生まれて以降、そうした作品消費はある種の宿命であり、避けようがない。

photo Netflixではイントロスキップ、1.5倍速再生が可能だ

 「そんなやり方では楽しめない」と思う人もいるだろう。私も一人の映画ファンとしてそう感じる。だが、どう作品を楽しむかは、あくまで受け取った個人の扱い方次第であり、矯正することはできない。

 ある意味、われわれは細切れ化した時間と今までの「長編」が混在する環境にまだ適応できていないのかもしれない。適応できれば、慌てる必要もないし、全てを見る必要がないことを自然に受け止められるようになるのかもしれない。

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