週末、ある長編コミックを読み返していた。そこで、ゴールデンウイークにあるドラマを見ている時に覚えた違和感・疑問と同じものに出くわすことになる。
「お話」の中では、現実には存在する現象でも作劇上、邪魔だから描かない、ということがよくある。前出の違和感・疑問とはそれに基づくものだ。
省かれていたのは「遅延の描写」である。
それがどういう意味を持っているのか、少し考えてみたいと思う。そこには、テクノロジーとともに暮らす中で、「どうしても避け得ないのだがわれわれが無視しがちなこと」、すなわち人間の持つ特性が隠れているのではないか……と考えているからだ。
この記事は、毎週月曜日に配信されているメールマガジン『小寺・西田の「マンデーランチビュッフェ」』から、一部を転載したものです。今回の記事は2021年5月31日に配信されたものです。メールマガジン購読(月額660円・税込)の申し込みはこちらから。さらにコンテンツを追加したnote版『小寺・西田のコラムビュッフェ』(月額980円・税込)もスタート。
冒頭で挙げたコミックとは、太田垣康男氏のSF長編コミック「MOONLIGHT MILE」である。大ヒット作品なので、ご存じの方も多いだろう。連載は2007年末に休止しているのだが、作者の太田垣先生より「近々連載が再開される」とのアナウンスがあったため、久々に読み返してみた次第だ。
人類の宇宙開発と覇権を巡る状況で繰り広げられる群像劇だが、月への進出が定着した後半では、バーチャルリアリティー(VR)やテレイグジステンスといったテクノロジーが多く描かれている。その描写は非常に刺激的で、十数年前に描かれたものとは思えない部分もある。
一方で、とても気になった部分もあった。
それは「遅延が一切描かれていない」ことだ。
離れた場所同士がコミュニケーションをすると、必ず「遅延」(レイテンシ)が発生する。光(電波)の速度に依存する部分もあれば、テクノロジーに由来するものもある。避け得ないものだが、作品中にその描写はほとんどない。
数週間前、月を舞台した別の作品を見ているときにもそれを感じた。Apple TV+で配信中のオリジナルドラマ「フォー・オール・マンカインド」だ。こちらは「もし、人類で最初に月に行っていたのがソ連だったら」というところから始まる、宇宙開発を題材にしたオルタナティブ・ヒストリーものであり、夫婦関係やジェンダーといった題材を「過去にもあった当たり前のものである」という視点で描いたドラマでもある。
こちらでも、月と地球の間の交信が多数出てくる。月に恒常的な基地ができてからは特に通信シーンが多くなり、政治的難題や家族の課題などが、通信によって「隔たれた距離」の中で描かれることが多い。
だがやっぱり、こちらでも「遅延」はほとんど描かれない。
月と地球の距離は約38万km。光の速度は秒速約30万kmだから、片道で約1.3秒かかる計算になる。アポロの時代には、2秒弱の通信遅延が発生していたそうだ。ということは、家族の会話も地球・月間で行うなら、一言発するたびに2秒くらいは遅れて届く、ということになる。アポロの時代は相当会話も大変だっただろう。
以前宇宙開発関係者と雑談をした時、「火星より先に行くなら、ホウレンソウが最大の課題」という話になった。火星への通信は、最接近時で片道約3分。もっとも遠い時で約22分掛かるという。もう双方向対話はできないし、現地で何かが起きても、分かるまでには事態は過ぎ去っている可能性すらある。
VRでは送る情報が音声だけではなくなるため、遅延を認識できる要素は音声や映像だけでなはなくなる。ごく近距離(数百kmでも、宇宙ではかなりの近距離といっていい)でも最低コンマ数秒の遅延はあり、移動が伴うと通信の安定性などを考えれば、「軌道上で、ワイヤレス通信によってVRを活用したテレイグジステンス・ロボットを運用」する場合、遅延が大きな技術的課題になるのは間違いない。
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