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「ユニークすぎて競合なし」製品を続けざまに投入 撮影の総合商社と化したDJIのパワーを探る小寺信良のIT大作戦(1/4 ページ)

» 2021年11月10日 08時00分 公開
[小寺信良ITmedia]

 ドローンの世界では早い時期から有名企業だったDJIだが、良くも悪くも多くの人がDJIの名前を知ったのは、2015年の首相官邸無人機落下事件だったと思う。官邸職員によって発見されたドローンは、DJIの「Phantom 2」だったことが分かった。そこから一躍大論争が巻き起こり、拙速にドローン規制が行われた。

photo 首相官邸無人機落下事件の犯人によるブログ

 本来ならばこうしたケチが付いた国外企業は、そこから先日本のビジネスは難しくなるはずだ。しかしDJIは怯むことなく次々とドローン製品を市場投入し、日本でも広く展開していった。昨今の製品群を見てみると、もはやDJIはドローン企業というよりも、プロ〜コンシューマーの撮影全般を取り仕切る企業へと変貌した。

 正直、普通のものは1個もないというユニークな製品は、どこから生まれるのか。その系譜を知れば、なるほどと思わせるものも多い。DJI製品の強さはどこにあるのか。

「ドローン屋」だった時代

 DJIは、 香港科技大学でシングルローターヘリコプターの安定化装置の研究開発に取り組んでいたフランク・ワン・タオ氏によって2006年に創業された。最初の売りはその安定した制御システムで、2013年の初代Phantomは、誰でも安定して飛ばすことができる機体として爆発的なヒット商品となった。

 初代Phantom登場以前から、ドローンはホビー業界では注目を集めていた。筆者も一度トライしたことがあるが、未経験者には空中で静止させておくことすら難しく、貸し出し機を墜落させ大破させるという大失態をしでかしたことがある。

 現在ではおもちゃのドローンでさえ難なく空中に静止しているが、当時はコントローラーを微細に操作して位置をキープする必要があったのだ。DJIの姿勢制御システムは単体でも販売され、多くのカスタム機に搭載されていった。当時撮影用ドローンは量産品を買うものではなく、昔のデスクトップPCのように知識のある人がパーツを集めて「自分で組む」ものだった。

 初代PhantomおよびPhantom 2は、カメラシステムを持たなかった。空撮したければ自分でジンバルを取り付け、カメラを搭載する必要があった。当時は「GoPro」を載せるのが一般的だった。

 機体にジンバルとカメラを後付けで加えて販売するようになったのは、2014年の「Phantom2 Vision+」からだ。当時実際に使ってみたことがあるが、搭載の自社製カメラはGoProよりも小型だった。電源はドローンから取るため、電源部が不要だったからである。ジンバルと一体型で、カメラは取り外せなかった。

 動画撮影は1080/30pがせいいっぱいで、音声は収録できなかった。レンズは広角だったが、ゆがみ補正などはなく、いわゆるフィッシュアイレンズと変わりない。撮像素子のラティチュードも狭く、夕焼け空は白飛びして撮影できなかった。

 カメラの専門メーカーでもない会社が、ドローン用とはいえ撮影用カメラを開発するのは無謀のように思えたが、当時の中国にはGoProの類似品を作って売っている会社は数多くあり、知見はそこそこ集められたのだろう。

 2015年の次モデルPhantom 3では、早くもカメラに進化が見られた。センサーにはソニーの1/2.3インチExmorセンサーを採用し、4Kが撮影できるようになった。当時の画質を見ても、なかなか高精細だ。ドローンの性能よりも、たった1年で大幅にレベルを上げてきたカメラに驚いたものだった。

 同年には、空撮のプロ機「Inspire 1」をリリースしている。これまでデジタル一眼などの重たいカメラで空撮する場合には、多くの事業者はカスタムメイドの機体を使ってきたが、プロ機もオールインワンのパッケージとして登場させた。カメラも用途に応じて5タイプをそろえ、ジンバルごと取り換えるという手法を取った。4K撮影はもちろん、マイクロフォーサーズセンサーを備えたレンズ交換可能なカメラユニットもあった。

 DJIが「カメラでプロ入り」を果たしたのは、これが最初だろう。

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