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ゲーミングとスパコンの融合が“新世界”を開く 理研・松岡聡さん語るゲームエンジニアへの期待CEDEC 2022(1/2 ページ)

» 2022年09月12日 08時00分 公開
[本多和幸ITmedia]

 スーパーコンピュータとゲーミング関連技術の交わりが社会の発展につながっていく――。コンピュータエンターテインメント協会(CESA)が8月23日から25日まで開催した「CEDEC2022」。その最終日の基調講演には、理化学研究所・計算科学研究センター長であり、学生時代はゲームエンジニアとして活躍していた松岡聡さんが登壇した。

理化学研究所・計算科学研究センター長の松岡聡さん

 松岡さんは日本のスパコン開発をリードするキーマンの1人。4月には計算機科学研究への功績が評価され紫綬褒章を受章した。講演では自身の経歴やスパコン開発の歴史に触れながら、ゲームエンジニアの活躍が社会変革を支えるイノベーションにつながる可能性があるとして、聴講者にエールを贈った。

スパコンの開発方針は「単騎の性能」より「集団の力」に

 松岡さんはまず、スパコンの進化の歴史を、マイクロプロセッサを使ったパーソナルコンピュータ(PC)の進化の過程と併せて解説した。「初期のスパコンの傑作」と評価された「Cray-1」が登場した時期とPCが普及し始めたのはほぼ同時期だったが、両者の実力には当然ながら大きな差があった。

「Cray-1」と開発者のシーモア・クレイさん(Computer History MuseumのWebサイトから引用

 松岡さんは自身でその差の大きさを確認している。Cray-1と当時の8ビットのPC「ベーシックマスター」(日立)を比べた場合、「BASICで書いたプログラムなら100万倍、(低水準言語の)アセンブラで(ハードウェア的な動作を意識したより複雑なプログラムを)ゴリゴリ書いても1万倍くらいの性能差があった」という。

ベーシックマスター(コンピュータ博物館から引用

 当時のマイクロプロセッサとPCは、黎明期のシンプルなコンピュータゲームの世界ではリアルタイム性を担保できたが、物理シミュレーションなどの科学技術計算に使うことができるレベルではなかった。

 しかしマイクロプロセッサがどんどん高性能化し、これに伴いスパコンの進化の方向性も「1台1台のマシンを速くする」から「マシンの台数を増やす」に変化した。マイクロプロセッサを並べた大規模な並列計算機により高速処理を実現する技術が確立されていった。現在のスパコンもその延長上にある。

後の任天堂社長・故岩田さんと「ピンボール」を開発

 松岡さんは自身のキャリアを振り返り、「1970年代には初期のゲーマーでありゲーム開発者だった」と説明。80年代に入り、東京大学在籍時にはファミリーコンピュータ用ゲーム「ピンボール」を、後に任天堂に入社して社長を務めた故岩田聡さんとともに開発した。

「ピンボール」のゲーム画面(任天等のWebサイトから引用

 当時のマイクロプロセッサの性能的な制約の中で、アセンブラを駆使して物理シミュレーションを試みた経験が、スパコン開発をリードする研究者としての原体験の1つになったようだ。

 その後、東大で並列処理システムの基礎研究に従事し、東京工業大学に移籍後は汎用(はんよう)のCPUを並列させたコンピュータを研究室のメンバー総出で自作し、やがてはそれがスパコンの世界ランキング「TOP500」に入る成果を出す。

 東工大では当時、研究用にメーカー製のスパコンを導入していたが、その性能を研究室自作のスパコンが超えたことから、東工大の次期スパコンは松岡さん主導で開発することに決定。NEC、サン・マイクロシステムズとの協業で、2006年に「TSUBAME1.0」が世に出た。

「TSUBAME」の解説ページ(東工大のWebサイトから引用

 2006年からの4年半の運用期間中、日本国内のスパコンでTOP500における最上位の評価を4期連続で得るなど、世界トップレベルの情報インフラとして注目された。ちなみに現在はTSUBAME3.0が運用されている。

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