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“1人1台”で放置される学校の「コンピュータ教室」 それでも文科省が残したい理由小寺信良のIT大作戦(1/3 ページ)

» 2022年12月27日 13時30分 公開
[小寺信良ITmedia]

 「コンピュータ教室」と聞いて懐かしいと思われる人は、そこそこ多いはずだ。学校にコンピュータの導入が始まったのは意外に古く、1985年ごろといわれている。その後1989年の学習指導要領に情報教育が盛り込まれ、2000年頃までにはほぼ全ての学校にコンピュータ教室が設置された。専用の教室に、1クラス分のコンピュータがズラリと並んだ、アレである。

コンピュータ教室のイメージ

 初期の情報教育は、「スタンドアロンのパソコン」の使い方を覚える事であった。インターネットを使う教育、あるいはインターネットを学ぶ教育は、先進的な学校を除いてはだいたい2001年ごろから手探りで始まっている。

 2019年に立案された「GIGAスクール構想」によって、2021年度にはほとんどの公立小中学校で1人1台端末の環境が整備された。もちろん全ての端末は、普段の教室からインターネットへ接続できる。初めて学校にコンピュータ教育が導入されてからおよそ35年ほどかかって、ようやくここまで来たというわけである。

 1人1台端末があれば、もうコンピュータ教室に移動してPCを使わなくていいだろう、ということで、コンピュータ教室を廃止する自治体も出始めているようだ。だが12月19日、文部科学省が「GIGAスクール構想に基づく1人1台端末環境下でのコンピュータ教室の在り方について」という通知を出した。内容的には、コンピュータ教室を廃止するのは待て、という話である。

なぜまだコンピュータ教室が必要なのか

 文科省と学校は、生徒数に対するコンピュータの割り当て数の向上をずっと目指してきた。例えば1クラス分の端末があるコンピュータ教室が1つあり、それを利用する可能性のあるクラスが20クラスあれば、端末数は20人に1台、という事になる。コンピュータ教室をもう1つ増やしても、端末数は10人に1台にしかならず、教室単位で考えている限り、1人1台の実現には程遠い。その点では、「GIGAスクール構想」は教室単位でのコンピュータ導入の概念を打ち破った、画期的なプランだったわけである。

 だが1人1台の端末は、いわゆる「コンピュータ」ではない場合もある。「GIGAスクール構想」では、導入端末はiPad、PC、Chromebookのいずれかでよいとされている。筆者の息子の中学校で利用されているのは、iPadである。これらの端末は、ネットにつながり、電子教科書や電子教材が利用できることが前提となっている。誤解を恐れずに言えば、これらは教科書に変わるもの、あるいは教科書を超えるものとしての教材であり、教育の合理化を図るものだ。従ってこれが「コンピューティングか」といわれると、まあちょっと違うという事になる。

 例えば発表のために動画を編集するとか、製図のためにCADを使うといった授業を想定してみると、各個人に与えられた端末で直接それができるか、という問題がある。あるいは実習や自由研究で生徒に自由に使わせた端末を、次の授業へ向けて一斉に初期化するといったことを、個人のIDや情報が入った端末に向かってやるのか、という話になる。

 それなら、個人端末よりも値は張るがもっと高スペックのPCを1クラス分だけ用意して、そこで高度な演習をさせたほうが合理的、というのが、文科省の指摘である。

 単に端末スペックの問題だけではない。自分の端末の13インチ程度の画面の中だけで考えるより、もっと大きな高解像度ディスプレイにつないで広い画面で考えたら、もっと多くの気付きがあるはずだ。筆者もふだん執筆に使っているのはMacBook Airだが、本体のディスプレイはモバイル時しか使わない。普段は40インチディスプレイにつないで多くの資料を同時に展開しながらじゃないと、仕事にならない。

 あるいは鍵盤や音源をつないで、作曲や演奏の実習ができないか。3Dプリンタをつないで、自分で設計したものを出力できないか。自分で作ったCGを、ネットワークレンダラーを使って高速に出力できないか。

 こうした学習プログラムを、STEAMという。 Science(科学)、Technology (技術)、Engineering (工学)、Art(芸術)、Mathematics (数学) の頭文字を取ったものだ。それはもうコンピュータ教室とは呼ばないかもしれないが、コンピュータ教室を居抜きでそういうSTEAMラボ的な施設に変えたらいいんじゃないか、というわけである。

 1人1台コンピュータがあるなら、こうした「自由に先に進む学習」があるものだと勝手に思っていた。だが現状、1人1台端末で合理化できた時間的な余裕は、新たな課題が詰め込まれるだけで、そうしたことに使われている気配がないのも事実だ。

 全員がこうした高度なコンピューティングに興味がないかもしれないが、これまでチャンスがなくて才能が開花できなかった子が、10人に1人ぐらいは出てくるのではないか。

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