国内におけるAIの権威である東京大学の松尾豊教授は、ChatGPTをどう見ているのか? 4月4日に開催されたAIチャットボットなどを手掛けるPKSHA Technologyのイベントで、同社の上野山勝也社長と対談し、ChatGPTをどう捉えるかについて話した。
松尾氏 一時的なトレンドではない。使うと分かるが相当学習している。やっている事自体は、次の単語を予測して表示しているだけだが、その過程で、相当複雑な概念も学習してしまっている。これがいろいろな形で世の中に広がっていくのは間違いない。
ChatGPTは、プロンプトエンジニアリングによって、新しいものを生み出している。確かに学習しているのはネット上のデータだが、「新しい話を書いてください」と指示したとき、類型化と混ぜ合わせをやっている。そして、だいたいの創造性は類型化と混ぜ合わせだと考えれば、(ChatGPTは)創造的なことをやっていると考えていていい。
松尾氏 騒然としている。いろいろな意味で、変わり目な感じがしている。例えば、言語処理学会では「これで言語の研究はなくなるのか?」ということがいわれたりしている。アカデミアでできる研究が、これから先限られているのかもしれない。
言語処理については、これまで問題を切り分けて、形態素解析とか構文解析、知識処理、推論とかで対応してきたが、それらがほぼ同じ(大規模言語モデル、LLMという)アルゴリズムで一気に解けてしまうということだし、その範囲が言語処理を超えて、知識や教育、哲学などいろいろなものを含み始めている。普遍的な知のあり方に近づいている。
松尾氏 今までにない、変なものが生まれている感があって、プログラミングの概念とプロンプトエンジニアリングの間で、面白いことが起きている。
例えば、ChatGPTに「あなたはスポーツジムの受付を担当するアシスタントです。顧客と話してどのプランがいいか案内してください」とプロンプトを入れる。そのとき、過去に申し込みした人かどうかを確認するときには、顧客DBにChatGPTがクエリ(問い合わせ)を投げなくてはならない。
ChatGPTでは、これがすべて(日本語の)プロンプトで書かれている。こんな変なプログラミングはありますか。
ただ、法律とか規約とか手順書が機能するのも、“人間というLLM”がうまいようにやっているともいえる。そう考えると、いままでのプログラミングのほうが変わったもので、LLM向けのプロンプトのほうが、人間社会ではこれまで使われてきたともいえる。
松尾氏 日本もLLMを作ったほうがいい。何も作らないというのはあり得ない。LLM開発にはいろいろなレイヤーがあって、LLMを作れる開発者、研究者を育てる必要がある。
特化型のLLMとかローカル型のLLMがどういうアーキテクチャになるかというのもあり、少なくとも国内でやらないといけない部分はある。
国産検索エンジンの開発をやっていた1998年に時間が巻き戻ったとして、「結局、世界を取れなかったんだからやらなくてよい」とはならなくて、むしろもっとちゃんとやっておくべきだったとなるだろう。
新しい時代だからこそ、重要なテクノロジーや基盤技術はまず自分たちでもやるということだと思う。
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