さて、そのダイナブックは構想そのものはあったものの、当時はそれがどういうものであるのかをデモすることもできない。そのためのハードウェア、ソフトウェアがなかったからです。彼にビジョンはあったものの、それを実現するためには協力者が必要です。そのための資金と人がいたのが、PARCだったのです。
暫定ダイナブック(interim Dynabook)として開発されたのが、地名に由来する「Alto」。当時のコンピュータがせいぜい640×480ピクセルだったのに対し、606×808の高解像度で縦長ディスプレイ。FM音源を8個同時にリアルタイムで生成できる音楽機能も持っていました(DAコンバーターは必須でしたが)。
1973年3月1日に生まれたAltoは1979年までに2000台が製造され、PARCを訪れた人々に感銘を与えます。その一人がスティーブ・ジョブズでした。この訪問は、Macintosh開発チームのもともとのリーダーだったジェフ・ラスキンの提案によるもので、ジョブズはしぶしぶ行ったのだとラスキンは証言しています。このときにはMacintoshのグラフィックルーチンや後にHyperCardを開発することになるビル・アトキンソンも同席していました。
PARC側でデモを行ったのはラリー・テスラー。彼はその後Appleに入社し、Macintoshの開発に従事。そして現在もみんなが使っているキーボードショートカット、Command + C(コピー)、Command + X(カット)、Command + V(ペースト)を考案することになります。
すでにApple IIの後継機(実際はApple IIIだったのが大失敗に終わった)として開発が進んでいたLisaは、PARCでのデモに強い感銘を受けたジョブズによりAlto寄りにシフト。テスラー以外の人材も引き抜き、グラフィカルユーザーインタフェース(GUI)をOSに組み込んだコンピュータとしては世界初のマシンとして世に送られます。
Lisaの発売は1983年1月19日。40年前です。Altoの登場から13年で、その意思を継いだ、コンシューマーがギリ手が届くくらいの価格帯のコンピュータが出たことになります。9995ドルというおそろしく高価なマシンでしたが。
そして翌年の1984年にはMacintoshが発売されます。価格はLisaの4分の1。コンパクトでより洗練されたOSを備えたコンピュータは39年後の今も、同じようなGUIで、ボタンが1つしかないマウスで、同じキーボードショートカットで多くの人に使われています。
スティーブ・ジョブズは後に、このときの判断を後悔します。PARCでのデモはAltoのGUIだけではなく、オブジェクト指向言語としてのSmalltalk、数百台のAltoを接続して電子メールなどのソフトを使えるイーサネットもあったのですが、それらには気が付かなかったと。その反省がNeXTにつながり、その成果がAppleによる買収とジョブズの復帰により全てがMacintoshに取り込まれることになる訳です。
Altoの子供であるMacintoshが40歳を迎える2024年には、改めてその技術を生んだPARCのことを思い出すことになりそうです。
と終わってしまうと、「何だそのApple史観」と批判されるはずなので、Altoが生み出したものは他にもあることを付け加えておく必要があります。もちろんそれはWindowsです。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PR