近代民主主義の起源となった思想家の難しい概念は、実はビッグデータのことだった──? 哲学者の東浩紀さんと「AIの遺電子」作者の山田胡瓜さんの対談で出てきた「一般意志2.0」と「訂正可能性」というキーワード。AIが否応なしに普及していく中での社会制度を考えるべく、東さんの哲学について山田さんが聞いていく。
(聞き手・執筆:井上輝一)
山田 良くも悪くも、AIは実質的に世の中に入ってきちゃうじゃないですか。それに対する議論の上では人文的な知見がすごく問われると思っています。
AIの話をしていると、基本的には開発者か、AIを広めようとしている経営者になるんですが、それ以外にも人文系の人間が必要。そういうところに東さんがいてほしい。
それで言うと、東さんが「一般意志2.0」や「訂正可能性の哲学」といった本を出された中で、AIが入ってくる中での社会制度がどうあるべきかを伺いたいと思っていました。
あらためて、一般意志2.0がどういうことかを伺いたいです。
東 まず「一般意志」をすごく簡単に言うと、ジャン=ジャック・ルソーっていう、近代民主主義の起源にいる思想家が唱えた概念。で、普通は個人の意志を集めたものが一般意志と思われがちなんだけど、実はルソーはそんなこと言ってなくて、そっちは「全体意志」というんですね。一般意志は全体意志に似てるけど違うと言われていて、そこが長い間謎で民主主義に関する議論もいろいろねじれてきたんだけど、「一般意志=ビッグデータみたいなもの」って考えるとスムーズに読み解けるよっていうのが、僕が言う「一般意志2.0」の考え方です。
で、この本は2011年に出したんだけど、ただビッグデータに任せていても世の中が良くなるとはとても思えないので、なにか別のシステムと組み合わせるのが必要だよねって話を最近の本ではしています。それが「訂正可能性」です。
それで、もう一度「一般意志=ビッグデータみたいなもの」の話に戻ると、例えばルソーには「一般意志が死を命じたら市民は死ななければいけない」という悪名高い文章があるんです。このまま読むとめっちゃ独裁主義っぽい。実際そう解釈されてきたんだけど、僕の考えではこれは統計的法則みたいなことを言っている。
つまり、交通事故も東京で1日当たり何人死ぬとか分かっていますよね。そういう動かせない集団的な事実を彼は一般意志と呼んでると解釈したらどうか。
ルソーは、一般意志は人間の秩序ではなくて自然の秩序に近いみたいなことも言っていて、これもそういうふうに読み解くべきだと思います。むろん、当時は少なくとも現代的な統計学はないので、ルソー自身もどういう意味かがよく分かっていなかったんだけど、彼は人間集団全体の流れみたいなことを言いたかったんだと思うんですよ。
山田 個人として逆らっても意味がない、人類が持っている法則みたいなことですね。
東 統計的事実に対して一人一人が「いや俺事故に遭わないよう気を付けてるから」とか言ってもしょうがないですよね。
ルソーはそもそも自然が一番だって言っていた人で、人間は文明やモノを作っていろいろ考えるようになったからダメになったと主張している。その人が社会契約論を書いているのは表面的にはすごく矛盾してるわけ。
でもそうじゃなくて、社会契約によって新しい自然を作る、「社会という自然」が作られるって発想なんですよね。
人間集団全体とか、日本という国全体の一つの大きな流れみたいなものは、一人一人にとってはどうしようもないじゃないですか。
山田 なるほど。ただそのままだとビッグデータもただのデータですよね。それを解釈して何がどうなっているかをジャッジする主体が必要じゃないですか? それについてもルソーは言及しているんですか?
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