2024年元日に発生した能登半島大地震は、まさに日本全体がお正月のホンワカムードに浸る中の出来事で、一体何が起こったのか理解できた人は少なかったのではないだろうか。もちろん筆者もその1人である。
お正月番組を全部吹っ飛ばしてテレビ放送は一斉に地震速報に代わり、震源地や震度、度重なる余震、津波警報の情報が拡散された。揺れが伝わる地域の方は、スマートフォンの地震警報が連続で発せられ、落ち着かなかっただろう。
それで思い出すのが、今から13年前となった東日本大震災だ。3月11日は平日で、子ども達は学校に居た。当時筆者は埼玉県に住んでいたので、ある意味地震災害の当事者とも言えないこともないが、深刻な被害を受けたわけではない。テレビのニュースは同じ情報を繰り返すだけで、むしろ情報源として貴重だったのが当時のTwitterだった。
当時からすでにネットニュースはTwitterにリンクを流していたが、陸上自衛隊や首相官邸も公式アカウントがあり、テレビニュースになっていない情報が入手できた。また災害情報を地図上にプロットする人や道路情報を分析する人も現われ、「ネット時代の災害対応」が幕を開けた瞬間であった。
ただ、いい面だけではない。当時家族・友人らと個人的に繋がるツールがオープンなSNSしかなく、安否確認や生存表明のために個人情報を流す人も多かった。当時まだLINEはない。スマートフォンの所持率も14.6%しかなく(総務省平成29年度情報通信白書)、まだ主力はガラケーの時代である。
そう考えるとTwitterは、まだまだPCにかじりついて使うものだった。PCは複数の情報をいっぺんに閲覧するには便利なツールだが、同時に誤認も起こりやすい。不確実な情報や意図的なデマが流布され、善意からそれらを拡散してしまった人も多かった。
東日本大震災がやがて地震そのものから電力問題へシフトする頃、ネット業界では震災時の混乱を踏まえて、情報教育の必要性が高まっていった。被害状況が明らかになるにつれて、ネットから情報が取れたか取れなかったかで、生死を分けるケースがあることがわかったからである。学校が「ケータイは持たない・持たせない」から授業での情報教育へ転換したのは、この数年後である。
2011年頃に小学生だった人達は、その後中学や高校で情報リテラシーの授業を受けたはずだ。この人達はすでに成人しているが、それ以降の子ども達もみな、同様の教育を受けている。あれから13年、ネットは我々が期待した通りに機能しただろうか。
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