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テレビ業界のハードワークは、なぜ無くならないのか小寺信良の「プロフェッショナル×DX」(3/4 ページ)

» 2024年04月16日 15時50分 公開
[小寺信良ITmedia]

ガラッと変わってしまった制作構造

 80年代後半には衛星放送が立ち上がり、レンタルビデオが隆盛を極め、映像制作というウィンドウが多種多様になっていくにつれて、テレビ制作業界も大きく変わっていった。大手制作会社のプロデューサー、ディレクターが次々と独立し、別会社を立ち上げて裾野が広がっていく。

 ただその動きはバブル期と重なっており、中小不動産会社が名刺の裏に「テレビ番組制作」と入れたいだけのために存在するプロダクションも多数あった。もうからなくても、何か仕事が回っていればそれで良かったのである。

 だがバブル崩壊とともにその体制は崩れ、多くの弱小プロダクションは仕事がなくなり、大手の孫受け、ひ孫受けとして生き延びる道を選んだ。

番組制作はヒエラルキー構造となった

 番組放送後の二次利用が大きくなると、番組の制作著作はテレビ局と元請け制作会社が共同で権利を持つようになっていった。制作費を一部負担するようになれば、制作費節約のために下請け会社を使うようになっていく。自社社員を使うより、無理が利くからである。こうして、大手と中小の制作会社はもたれ合いの構造となり、今の形が出来上がっていった。

 小さい制作会社は、弟子としてのADを雇用する体力を持たず、ADを人材派遣会社に頼るようになっていった。もっと体力のない会社は、ディレクターさえも下請けのフリーを雇って体裁を整えるところもある。

 今の番組制作は、大きなビル建築みたいなものである。看板には○○建設と大手の名前があっても、実際に現場で手を動かしているは下請けや一人親方だ。

 こうなってくると、ディレクターはADを育てる義理も意識もないし、ADは将来ディレクターになるという道があるわけでもない。本当に雑用をする係として雇われているだけで、そこには派遣社員もアルバイトもあまり区別がなくなっている。

 孫請け、ひ孫請けのように、制作組織のなかで所属が分かれてしまうと、労働条件もそれぞれが異なってくる。上流は結果が上がってくればそれで良いわけで、労働条件の管理などは行っていなかった。本来派遣のADを守ってくれるはずの派遣会社の社員は、現場にはいない。実際別会社の労働条件に対して、他社がどれぐらい口出しできるのか、法的な問題もある。

 テレビが元気だった時代は、テレビ番組は毎回これまでにないものを作ろうとしていた。従って方法論も毎回手探りであった。だが時代が下って多くのノウハウが蓄積してくると、新番組とはいっても手法は以前の番組の焼き直しで済むようになる。そうなることで、細分化・分業化が可能になるわけだ。

 このため、すでに経験や技術がある者にはしがらみがなくて生きやすい世界になったが、若手が学べるというシステムは壊れてしまった。

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