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小さな段ボール工場が変えた避難所の光景社長の思い(1/6 ページ)

» 2018年11月01日 06時30分 公開
[橋本愛喜ITmedia]

 大阪府八尾市の一角に、3代続く小さな町工場「Jパックス株式会社」はある。従業員数34人。作っているのは、段ボールだ。

 同社へ初めて問い合わせたのは、2018年9月に発生した北海道胆振東部地震の数日後のことだった。電話口に出た女性スタッフは、関西弁で「社長はしばらく北海道におるんですよ」と、愛想よくも残念そうに対応してくれた。

 豪雨や地震、台風など、多くの自然災害に見舞われている今年の日本列島。東日本大震災から7年。我々はあの歴史的大惨事から何を学んだのか。それ以降の災害で設置されてきた各避難所の光景は、体育館や公民館の硬く冷たい床に毛布を敷いて身を寄せ合う7年前のそれと、さほど変わっていない。

2018年7月の西日本豪雨で被災したある避難所の様子。段ボールベッドはまだ未搬入 2018年7月の西日本豪雨で被災したある避難所の様子。段ボールベッドはまだ未搬入

 これだけ日常生活の水準が高く、かつ、災害が多いと分かっている国で、いざ被災すると、そのQOL(生活の質)は急激に落ち、突然、我慢の生活を強いられる。そんな現実に打開策はないのかと追究していくうちに、国内の災害現場へ毎度「段ボールベッド」とともに現地入りするJパックスの社長、水谷嘉浩氏の存在へと行き着いた。

 町工場社長の災害支援活動。彼を避難所へ向かわせる情動は、一体何なのか。

活動のきっかけ

 問い合わせから数日後、大阪に戻ってすぐに連絡をくれた水谷氏の声は、自身の精力的な活動に違わず、情熱とエネルギーに溢れていた。

 「現在の活動をするきっかけになったのは、やはり東日本大震災でした。当時、連日のようにテレビ画面に映し出されていたのは、津波や倒壊した建物から逃れた被災者が、地べたに毛布を敷いただけの体育館で身を寄せ合い、生き延びている姿。厳しい寒さが残る3月の東北の避難所では、多くの人たちが低体温症やストレス性疾患などの二次的な健康被害で亡くなっていた。避難所は、文字通り“避難”をするところですから、安心・安全でなければならないのに。そんな悲しい現状を大阪で嘆いていたある時、ふと自分が作っている段ボールが役に立つんじゃないかと思ったのです」

 復興庁の発表によると、18年3月現在、東日本大震災における震災関連死は3600人超。そのうちの約51%が、避難所の劣悪な生活環境が原因だと言われている。ゆえに、震災関連死は看過できない。地域によっては、地震や津波で死亡した直接死の数を超えるところもある。

 せっかく生き延びた尊い命を無駄に消したくない。そんな思いから、水谷氏はその後、自社が日々生み出している段ボールで、被災者用の簡易ベッドを独自に設計・製造した。気が付けば、20回以上も東北を訪れ、約3000床の段ボールベッドを無償で提供していた。以来、国内で災害が発生するたびに現場入りするようになり、今年の北海道地震の際も、幾度となく現場に足を運んでは、直接多くの被災者の寝床を作ってきた。

段ボールベッドを導入した避難所 段ボールベッドを導入した避難所
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