ある日の早朝。三重県尾鷲市の須賀利湾から出港する漁船があった。東京で居酒屋など飲食店を経営するゲイトの漁船「八咫丸(やたまる)」だ。この船が漁を始めたきっかけは、前回の記事「仕入れ目的でもカネのためでもない 東京の居酒屋が漁業に参入した切実な現状」で紹介した。
今回の主人公は八咫丸の船首に立ち、ゲイトの漁業部門を率いる田中優未さんだ。
ときに力強い男性漁師数人と一緒に船に乗り込んで舵を取り、網の引き上げも行う田中さんだが、出身はここ尾鷲ではなく九州・熊本。須賀利で初めて漁船に乗るようになって漁師歴はまだ1年未満だ。しかし、田中さんの働きが、ゲイトの須賀利での定置網漁を現実のものとした。
田中さんの職歴はITエンジニアから始まる。九州の大学を出た後、さまざまなシステム開発を受託するIT企業で働き始めた。
「最初に働いたのは、IBMと野村総合研究所が出資した会社でした。そこではお客さま企業を訪ねて困っていることを聞き出し、それを解決するシステムをデザイン、構築する仕事をしていました。私自身、汎用機OSのプログラミングまでやっていました」
その後、システム設計ができるエンジニアとしての転職を重ねながら、オーストラリアに語学留学。そして語学を生かして、営業までできるエンジニアとしてインドネシアで駐在することになる。
ゲイト社長の五月女圭一氏と出会ったのも、このインドネシアのIT企業時代だ。ビザの更新でシンガポールを訪れていたときに学生時代の知人から紹介されたが、この時はSNSで繋がっただけだった。その後もインドネシアでさまざまなシステム案件を受注する中で、大きな転機が訪れる。
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