随分たってから送られてきた、師匠からの返信封筒には、わずか2行の短い文が書かれた、1枚の便箋が入っていました。
そこには、「落ちろ! 落ちるところまで落ちろ! そうしたら落ち着く」「本日より僧号を『大愚』と、あらためよ」と書かれていました。
苦しみのどん底にあって、救いを求めた私に、師匠は、「もっと落ちろ」と言うのです。実はそれまで、私につけられていた僧号は、「仏道(ぶつどう)」でした。「仏道」を追い求めてきた私に、師匠は、「仏道」を捨てて「大愚」に生きよ、と言うのです。その夜、私は、布団の中で泣きました。
「起きて半畳、寝て一畳」と言われるように、僧堂内で修行僧に与えられるスペースは、畳一枚です。すぐ隣の畳には、別の修行僧が寝ています。泣いていることを悟られまい、と、声を殺そうとするほどに、嗚咽が漏れました。
どれほど間、泣いていたのかは分かりません。しかしその涙は、自分の主張が受け入れられなかったことへの反発や、悔しさによるものではありませんでした。何年もの間ずっと、全身に張り詰めていたものが、解けていったことによる、安堵の涙でした。涙とともに、喜びにも似た感覚が、全身に広がっていったことを覚えています。今思えば、相当に気負っていたのだと思います。
「悟りをひらくんだ」
「お釈迦さまのような人になるんだ」
言葉やイメージだけが先行して空回りし、頭でっかちになっていたのでしょう。大きな餅ばかり思い描いて、自分の足元を見失っていたのでしょう。「落ちろ」と言われたことによって、地に足が着いていない自分に気づきました。「大愚」という名前が、外ばかり見て、内を見ていない自分に気づかせてくれたのです。
思い起こせば、私がお寺の子として、経本を与えられたのが3歳。初めて葬儀や法事に連れて行かれたのが5歳でした。
学校でも地域でも、常に「お寺の子」と呼ばれる重圧を、勝手に感じていました。欲も、狡さも、怠け心も、人一倍ありながら、それらを隠して、「いい子」「いいお坊さん」を演じ、賢いフリをして生きてきたのだと思います。
賢くなければ、バカにされてしまう。カッコよくなければ、モテない。他人の評価にビクビクし、いつしか自分の外側に、偽りの賢さやカッコよさを取り繕うことを覚え、自分の愚かさを見つめようとしてこなかったのです。
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