GPLにまつわる10個の誤解Beginner's Guide(2/3 ページ)

» 2006年09月01日 07時00分 公開
[Bruce-Byfield,Open Tech Press]
SourceForge.JP Magazine

4. 「自由か死かの選択」条項は無制限に適用される

 GPLのセクション7は「死を選ぶ自由」の規約とも揶揄されることがあるが、それは、裁判所命令あるいは特許侵害をめぐる判決が下りてGPLライセンスの条件と矛盾する制約が課された場合でもGPL条項が免除される訳ではない、という旨がここに述べられているからである。そして、そうした制約とGPLの規約を両立できない場合については、プログラムの頒布ができなくなるとされている。

 ところがフォンタナ氏によると、このセクション7については多くのユーザーが拡大解釈をしすぎているということである。このセクションが適用されるのは、GPLの定めるすべての権利をユーザーに与えることを妨げる特許ライセンスについてだけなのであるが、フォンタナ氏によると、「一部の人間はこのセクションを読んで、サブライセンスを認めないあらゆる特許ライセンスを優先してGPL下にあるコードの頒布を禁じている、と誤って解釈しているのです」ということだ。そのほかにも「適用される可能性のある特許または、関連して適用されるかもしれない何らかの法的規制が存在するだけで、問題の規制が適用されることを懸念している」というケースも見られるという。実際にライセンスの本文を読んでみれば、いずれの解釈も成立しないことが分かるであろう。

5. ディストリビューションには変更したコード部のみを同梱しておけばよい

 GPLのセクション5では、「『プログラム』(あるいは『プログラム』を基にした著作物全般)を改変ないし頒布することにより、あなたは自分がそのような行為を行うためにこの契約書を受諾したということ(中略)についてこの契約書が課す制約と条件をすべて受け入れたということを示したものと見なす」と規定されている。そしてここで言う条件には、頒布する著作物のソースコードを提供する義務というものも含まれているのである。ところが派生ソフトウェアの多くのメンテナは、オリジナルの著作物側でソースコードの頒布が行われているのであれば、自分たちは変更した部分のソースコードのみを提供すればよいと、都合良く解釈をしている。以前のNewsForgeの記事でも指摘してあるように、こうした誤解はGNU/Linux系の派生ディストリビューションのメンテナたちの間で特に広まっているよう見受けられる。確かに、すべてのソースコードを頒布するのは無駄であり繁雑な作業であるよう感じられるかもしれないが、残念ながらGPLではそうした例外的行為を認めてはいない。またターナー氏の説明によると、将来的にもそうした措置が執られる可能性はないようだ。

6. 頒布時に必要なのはソースコードの提供のみで、それらの使用手段まで用意する必要はない

 GPLのセクション3を見ると、ソースコードの提供は頒布する者に課せられる義務の一部でしかないことが分かる。実際このセクションでは完全なソースコードの定義として「モジュールすべてのソースコード全部」に加え「関連するインタフェース定義ファイルのすべて」と「ライブラリのコンパイルやインストールを制御するために使われるスクリプトをも加えたものを意味する」と記述してあり、つまりは、こうしたソースコードを利用する際に必要となるツール類も提供しなければならないのである。確かにフリーソフトウェアコミュニティーの住人であれば、そうしたツール類を自分で取りそろえている人間は多いだろうが、頒布をする者は、すべての人間がそうであることを前提にしてはいけない。

7. 頒布時にソースコード提供の用意があることを明記しておく必要はない

 GPLのセクション3を読むと、バイナリファイルに添付する形でのソースコードの頒布をするか、あるいはソースコードを提供する用意のある旨を表記しておけばよいことが分かる。よって、これらをいずれも実行せずに相手側からの要求を待つというのは、作業的には楽であるかもしれないが、明白な違反行為になるのである。

8. 頒布時のソースコード提供は、直接のカスタマーに対してのみ行えばよい

 ソースコードの提供をする場合、セクション3bによると3年間は有効な書面が必要とされているが、その対象には「いかなる第三者」もが含まれている。そしてこの場合、商用カスタマーと、そうしたソースコードに興味を示す可能性のあるそのほかの人間に対する区別は規定されていない。

Copyright © 2010 OSDN Corporation, All Rights Reserved.

注目のテーマ